よく、神様は、その人に耐えられない試練は与えない、などと聞きやす。

私も、そうであるに違いないと思いたいと思ってる。

姑の入院する病院と、姑宅と、我が家とを頻繁に行ったり来たりをする日々は、続いてる。

もう先は、「明日かもう少し」と、救急で搬送された時点で医師に言われたが、まだ息は続いている。

 

ところで姑は、今までの姑と真逆な性格になり、我儘放題&看護師に対し(陰で)悪口言い放題人間と化しておる。

病気が、病気から来る今の状態がそうさせていると思っている。

 

7年前からこの病院で罹っているのにも関わらず、看護師達が今回何故か超冷たい。

確かに、今の姑は、私達身内からしてもふとキレそうになるが、

まあ、せっかく看護師という生まれながらに決めた聖職のようにも思える、私から見たら崇高で誰にでも出来ない仕事に就いていながら、そんな態度で後々後悔しないようにね、と思うだけだ。

姑はもう全く身体が自力では動かせず、ここを退院したら次にホスピスを予定してる。

 

身体が思う様に動けない地獄は、私が大腸ガンでの腹腔鏡術での腸管切除時の縫合不全で、開腹手術をした後、経験した。

ベッドに仰向けになったまま、そのまま動けない。その他諸々の不快感、もうこの世のものとは思えなかった。体がだるい、足がだるい、ベッドや足先に置かれた枕のほんの少しの角度の違いが死ぬほどのストレス。

このままの状態で一生を終えるとしか思えなかった、のに、治ると言われた。にも関わらず、

マジで窓から飛び降り死のうと思ったくらいだ。(動けないのだがてへぺろうさぎ

 

だから、足がだるいと訴える姑の、足をずっと揉んでいる。

有難う、助かるよ、とそんな状態の中でも言ってくれる姑。

辛いだろう、私もそうだった、でももし、あの自分の経験が無かったら、今回の看護師達のように、我儘な患者だと、心だけじゃなく言葉でも本人に言っちゃってただろう(思ったことを直接言うタイプ・汗)。

姑の妹、その息子、私達、義妹家族と、続々長い時間見舞客が訪れるこの個室。

姑がオカシイのではなく、貴方たちが足りないのだと、本気で言いたい。。

でも、、、、、

 

それも意味があるとも思ったりする。

神様は、耐えられない経験は与えないと聞く。

姑は、それを単に粛々と実行してるだけなのかもしれない。