3ヵ月半のトンネル生活から出た結論、これは100%ガンによるものでは無く、生活の変化もプラスしていたので書くのを躊躇したままでしたが、やはりこれがあってこそ今の自分があると思っているので、書きたいと思いました。



詳しくはその1~で書きましたが、締める意味で整理すると、



最後の退院後10ヵ月後に退社。

その後2ヶ月昼夜逆転。

その後3ヶ月好調。

4ヶ月目からトンネル。




私は高校生から、その退社まで、働いてないことがなかった。

結婚式後も1ヶ月も休まず、ずっと働いてきた。

ガンになっても、仕事を休む理由になるほどの体調ではなかったが、確実に価値観が変わり、仕事を辞めた。

辞めた事は、両親や義母は賛成だった。

当然とも言った、あんな大変な思いをしたんだから、と。




ガンになって、ショックを受け、検査にまみれ、手術して、縫合不全で死ぬ思い、肛門の位置が変わって又戻り、「ガン」を受け止める暇もなかった。

でも働き続け、それらの全てが終った時、大脱力が来た。

張り詰めていたものが無くなり、私は生きる「目標」を見失った。


子供もいない、仕事もない、旦那とも倦怠。

ガンによって、妊機も逃したのかと考えたり打ち消したり。




変な話、これが結婚してなかったら普通さらに苦しいと思うと思うが、私の場合旦那の存在もプレッシャーだった。


旦那は、もう「治った」私がいつまでもおかしいのは、夫である自分のせいだと思っていた。

時々、キレた。

でもその当時の私にはそれは知り得ない。

こんな私に嫌気が差しているのだと思っていた。

気持ちの誤解がさらに悪循環を呼んだ。




でも、私は復職しようとか、離婚しようとか、せめてしばらく実家に戻ろうとか、現状環境を変えようとは思わなかった。

今自分を襲うもの、自分で作り出してるのかもしれないが、逃げずにこの地獄の中にじっとしてようと思った、何故かは分からないのだが。



自分をいじめ(?)て自分を大切にしない毎日、人間としてきちんと過ごしてない毎日、そう思って毎日苦しかったけど、必ずいつか終ると今なら言いたい。

落ちるトコまで落ちて、後は這い上がるしかない、よく聞くけどその通りだった。

又、自分のタイプ的に、それが一番合ってたような気がする。

体力的には働けたけど、働いて、忙しさに気持ちを置き去りにして来なくて良かったと本当に思っている。




一生続くんだろう、くらいのペースだったのに、特にこれと言った出来事や、言葉や人との出会いもなく、ピッタリ3ヵ月半が過ぎた頃勝手に変わってきた。



具体的にこれがやりたい、あれがやりたい、でもない。

自然と少しずつ体が動くようになり、お腹が空くようになり、目の前が開けてきた。



「抜けた」


が一番の感覚だった。

あの時の心の軽さは忘れられない。




「私はガンになった」、そしてやっと治ったんだ、と、思える日に向かってた。







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