旦那とカラオケボックスへ行った。
結構広い部屋だったが、酔っ払うにつれ旦那がにこにこしながら私の横に座り、肩を抱きながら歌った。
細い肩は旦那にすっぽり入った。
真夜中過ぎ、珍しく猛烈にお腹が空いて来た。
カラオケ屋のメニューを広げるが、こんなとこは不味いから今は我慢しよう、と旦那。
ひとしきり歌い、手を繋いで家に帰った。
自分でもわけがわからないまま、3ヶ月半強烈なトンネルにいた。
どうすれば出られるか、、
と言うよりも、今思うと私はトンネルにいたかったんじゃないかと思う。
健康な体、ガンが転移してない事、を希望してなかったんだと思う。
食べる事=生きる事を一時的に拒否。
大変な罰当たりだが、多分そうだと思う。
何故なのか、はこれより1年後くらいにわかる。
ガン、と言われて私は平気な顔を装った。
すぐ後、
どうやら死ぬわけじゃないらしい、と知ったからではない。
心の中では死ぬほどショックだった。
でも、すぐ、もっと大変な人はいる、
に思考を向けた。
我慢をした。
それは強いのではなく、そう考えると自分が楽だからだ。
もちろんその時はそういう心のしくみはわからなかった。
私は、逃げたのです。
「早期」と言われた。
どうやらさらに平気な顔をするべきのようだ。
現実的な治療が終って、ナンなのよ、これ、、
と思ったんだろう。
あの時の自分の衝撃、これで終わりにしてくれ、と言うのか。
「ガン」
という言葉の攻撃力・破壊力は凄い。
想像以上だった。
最大の疑問にして永久の謎、手術をしてガンを取り除く、で終ってたらこのうつ状態が避けられたのかどうか。
縫合不全になり一時期に人工肛門、2週間の予定が3年に感じた1ヵ月半に。
(人工肛門生活は今でも苦痛だったとは思えない)
その入院前と入院後、考えも変わった、その遠回りの意味を知ろうとしたのか。
遠回りどころか、私は心の中の何かを失ったのか。
このまま、はい終了、に納得がいかなかったのか…
誰にも理解できないだろう、
私にも、この時点ではわからない。
旦那と行ったカラオケ屋が原因で、復活したはずはない。
確かな「きっかけ」は無かった。
梅雨明けの日に、前触れもなくいきなり始まってピッタリ3ヶ月半、自分を大事にしなかった時期が過ぎ、それに自分が終りを告げたのか、それとも何かに告げられたのか、
その後、私は昼前に起きられるようになり、午前中の気になるワイドショーを楽しみにする事ぐらいはできるようになった。
病院に戻りたい気持ちはまだ変わってなかったが、何かが変化し始めた。

