あくまでも、私たち年子姉妹内のストーリーです。
私たちは、東京23区内の山の手地域ながら、難民キャンプ並みの風通しの良すぎる木造平屋に、同じように生まれたはずだった。
私を生んだとき、母は母乳にこだわり、しかし母乳を好まなかった私は、貧弱な1歳児に成長した。
私が1歳4ヶ月で、もうヤツは生まれてきた。
母は、私に言ったそうだ。
「もうおねえちゃんなんだから、泣いちゃ、ダメよ」
なんとその瞬間から、私は泣かなくなった、と、母はいまだに泣きながら話す。
私への母乳の教訓から、妹はミルクをたっぷり飲んですくすく育ち、あっという間に私より大きく成長。
ぽっちゃり、色白、可愛い赤ん坊。
ご近所への愛想もよく、評判の幼少期だったらしい。
成長して、二人紹介される時、必ず姉妹逆に思われる。
落ち着いてて、背も体も私より、デカイから。
ヤツがお洒落にも目覚め、洋服の着こなしもうまくなる頃、私は女子の友達が出来ず、男子とのケンカと野球に明け暮れていた。
成人する。
同じバッグを持っても、私だと近所の商店街に買い物、にしか見えないのが、ヤツが持つと、表参道で通用したりする。
私が下手すぎたのだが、化粧もうまい。
ちなみにヤツは、私を、
「おねえちゃん」
と呼んだことがなんと一度も無い。失礼な…
名前に、「ちゃん」
をつけて呼ぶ。
さらになんとヤツは先に結婚する。
次男、高給取りの技術屋。
結婚後もワーキングホリデーを利用して、海外生活、長男を妊娠して帰国。
4年後に、イイ感じの間を置き、長女出産。
23区内に、一軒家を建てた。
長屋仲間だったはずの妹は、どこまでも突き進む。
最近金とヒマを持て余し、腕・すね・腋を永久脱毛。
今、レーシックをするか悩み中。
私はといえば、皆さんご存知の通りのていらく。
結婚してから、狭い我が家から引っ越したことは一度もない。
でも私は、遺伝だと医者に言われた大腸癌が、妹ではなく、私のところに来た事をホントに良かった、と思っている。
唯一、勝った!!!
て、感じだ。
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