大部屋に戻った私のもとに、イランと女医が来て言った。
「ミラさん、ご家族に大腸癌に罹った方はいますか?」
「母の兄弟に三人いただけだと…」(よかったらコチラ )
「若くして、亡くなったとか…?」
「一人は37才で亡くなったって聞きました・・でも、私、凄い不摂生で…酒もタバコも・・」
「いえ、その若さでは、いや、若くはないんだけど、大腸癌には若すぎるんです。遺伝の可能性があるので、ご妹弟全員内視鏡検査を受けるよう薦めてください」
女医が言った。
「血便が出たって言ってたけど、癌で出血したんじゃないのよ。ポリープがこすれて出血することもあるけど、癌性の出血じゃないの。偶然なのよ、見つかったのは…」
「ラッキーだったんですよ」
もし、先に内診でぢ、が見つかってたら、そこで検査が終わってたかもしれない…![]()
「あのまま内視鏡せずに、四十とかになって健康診断で見つかるころには、進行癌になっていたでしょう」
嬉しい言葉のはずだが、どうにも私は腹部の違和感が気になっていた。
「術後はそういうものですよ」
それで、ようやくほっとした。
熱が出始めた。
それも、38度を超えて下がらない。
お腹の痛さも、強くなってきていた。
「どーしちゃったんだろ…」
看護師さんが体温を聞きに来るたびに首をかしげた。
「でも大丈夫、又手術なんてことはきっとないよ!」
そのころ私は、腹が痛いのと、夜まったく眠れないので、ナースコールを押しては痛み止めを要求していた。
しかし、一日、一晩何回と、決められてる。
それでもわがままを言う私に、一部の看護師はあきれぎみだった。
そう、特に、浣腸のときの看護師、Cが…(よかったら
)
その日も痛み止めが切れて目を覚ました私を、イランともう一人の医師が見下ろしてた。
「痛みはどんな感じ?」
「筋肉痛のような・・・」
私はこのまま回復に向かう道しか歩きたくなかったので、自分にも言い聞かせるつもりで、少し軽く言ってしまった。
「ああ、それなら・・・」
と言ってその医師がイランを見たが、イランは首を振った。
「こんな高熱が続くのは、ダメです。まずCTやります」
今だ車椅子に乗らないと、移動できないのも、素人目にもおかしかった。
CTの後、起き上がろうとした私は、自分の体を疑った。
痛くて痛くて、起き上がれない。
ベッドの横にいた、レントゲン技師の白衣の胸倉をつかんでしまった。
イランが飛んできて、私を抱いて持ち上げると、車椅子に乗せながら言った。
「ミラさん、前も(この3、4日)こんなでしたっけ?」
「多分……」
私は又、逃げた。
イランは、信じませんよ、と言う顔をして、次は又別のレントゲンをやると、言った。
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