井浦新さんが好きなので、Instagramをチェックして知った映画『福田村事件』





関東大震災の混乱から、日本人が朝鮮人や中国人を6,000人以上も残虐した事件。



実際に見たり、被害に遭ってもいないのに

「朝鮮人が襲ってくる」

「井戸に毒薬を入れた」

などの拡散されたデマに村人は恐れ、やがて集団になって排除しようとする。



戒厳令が敷かれ、最早逆える者は誰もいない。



そんな殺気だった千葉県福田村(野田市)に、香川県から来た行商団が、言葉(方言)が違うと言うだけで朝鮮人と間違われ、捕らえられ、恐怖心から次々と殺されてしまう。



行商団は、何もしていないのにも関わらず、妊婦や小さい子どもまでもが標的になった。



新聞記者も事実を記事にすることを制圧され、生き延びた行商団も口を閉ざし、福田村の村人たちもひた隠しにしてきた。



これは、悲惨な事実として社会に公表すべきであり、日本人として知っておくべき事件であるはずなのに...



上映がミニシアターだけって真顔



ちょうど100年前のこの日、9月6日に実際に起こった悲惨な事件なのです。



昨日のニュースで、追悼式の様子をさらっと取り上げられていましたが、本当にさらっと。






森達也監督のインタビューより...


関東大震災から五日が過ぎた1923年9月6日、千葉県東葛飾郡福田村の利根川沿いで、多くの人が殺された。多くの人が殺した。でもこの事件を知る人はほとんどいない。皆が目をそむけてきた。見て見ないふりをしてきた。惨劇が起きてから100年が過ぎたけれど、事実を知る人はもうほとんどいない。


450万年前に樹上から地上に降りてきた僕たちの祖先(ラミダス猿人)は、直立二足歩行を始めると同時に単独生活だったライフスタイルを集団生活へと変えた。つまり群れだ。なぜなら地上には天敵である大型肉食獣が多い。一人だと襲われたらひとたまりもない。でも集団なら天敵も簡単には襲ってこないし、迎撃できる可能性も高くなる。


こうしてヒトは群れる生きものになった。つまり社会性。だからこそこの地球でここまで繫栄した。でも群れには副作用がある。イワシやハトが典型だが、多くの個体がひとつの生きもののように動く。だってみんながてんでばらばらに動いていたら、群れは意味を失う。特に不安や恐怖を感じたとき、群れは同質であることを求めながら、異質なものを見つけて攻撃し排除しようとする。


この場合の異質は、極論すれば何でもよい。髪や肌の色。国籍。民族。信仰。そして言葉。多数派は少数派を標的とする。こうして虐殺や戦争が起きる。悪意などないままに。善人が善人を殺す。人類の歴史はこの過ちの繰り返しだ。だからこそ知らなくてはならない。凝視しなくてはならない。





「集団と個」

「多数派と少数派」

「国籍や言葉」

「デマの拡散」

そして「差別」について、改めて考えさせられた。



ぜひ一人でも多くの方が観て、残虐な事件が実際に日本で起きたこと、日本人がしたことを知るべきだし、決して忘れてはいけない。








水道橋博士もお元気になられたようで、何かと叩かれていた東出昌大さんも良い役者さんでした。



個人的には、ピエール瀧さんをまたスクリーンで観ることができて嬉しかったニコニコ