今年の3月末に膵臓癌のステージIVと告知された父が息を引き取りました。



そんな父の最期の様子を綴った備忘録の続きです。






【7月23日 日曜日】

朝、施設へ行く準備をしていたら、施設のナースリーダー(リーダー的な存在の方)から着信があり



「お父さんの呼吸が変わってきたから、早めに来てあげてください。」

とのこと。



そろそろな予感はしていたので、急いで出掛ける支度をしていると、また5分後に再び着信があり



「お父さん、今呼吸が止まったよ。ちゃんと私が看取ったからね。苦しまずに亡くなったから、安心して慌てずに来てください。」



最期の瞬間は、私たち姉妹は看取ることができませんでしたが、1番お世話になったナースリーダーが看取ってくれて、最期の父の様子を聞かせてくれました。



朝になって呼吸が変わってきて、足の裏も紫色が濃くなったから、何度も様子を見に行っては、父に話しかけてくれていたそうです。



私に最初に電話をくれた後、父の体勢を直そうと



「◯◯さん、ベッドから落ちちゃうから、体をちょっと動かしますよ!」



と声をかけた時には、もう返事がなかったそうです。



私たちは、その10分後くらいに施設に到着した時には、前日と変わらず口を開けて寝ているようでした。



元々手足の先端は冷たかったけれど、まだ体までは冷たくなかったので、



「お父さん、ありがとう。」

「よく頑張ったね!」

「お疲れさまでした。」



と、姉と体をさすったり、手を握ったりして話しかけました。



まだ魂は近くにいるはずだから、届いているかな???



穏やかな表情とは言えませんが、苦痛な表情ではなかったので安心しました。



私たち姉妹が父とお別れをした後、実際に心肺停止した時間から1時間足らずで訪問診療の先生が到着して、死亡確認をしてくれました。



別室で死亡診断書の記入を終えた後

「最期のご挨拶をさせてください。」

と、もう一度父の側まで来て、父への労いやお悔やみの言葉を掛けてくれました。



日曜日と言うこともあり、いつもの担当医でなかったことは残念でしたが、面識のある物腰柔らかい優しい先生でした。



その後、いつまでも悲しみに浸っている間もなく、葬儀場の手配をして、お迎えが来るまでにナースリーダーがエンゼルケアをしてくださいました。



私たち姉妹も、まだ皮膚が柔らかい父の顔だけ温タオルで拭かせてくれました。



その後、手際よく洗髪して、タオルで体を拭き、スキンケアをして、排泄の処理もしてくださって、新しい洋服に着替えさてくれました。



お風呂の介助はヘルパーさんなのに、こういうお仕事はナースのお仕事になるんですね。



ここまでしてくださるとは、驚きと感動と感謝の気持ちでいっぱいになりました。



もし病院で入院していたとしても、ここまでのケアをやってくれるものなのでしょうか??



緩和ケアの専門科ならやってくれるのかな??



近親者を亡くしたことがないので分かりませんが、自宅で看取っていたら経験することがなかったことなので、きっと葬儀屋さん任せになっていたことでしょう。





2年前の同じ日(7月23日)に撮ったブルーインパルスの写真飛行機



青空に五輪のマークが映えていました日本国旗



父が認知症と診断されて、一悶着して車の運転免許証を返納した年でもありました悲しい








もう少しつづく