日本のテレビを見ようと、何気なくミュージックステーションをつけてみたら「桜ソング特集」をやっていた。

「桜ソング」なるジャンルや、「桜ソングブーム」があったのも初めて知ったけど

私の学生時代が丁度その時期に重なっていたようで、特に思い入れがある曲というわけでもないのに次々と流れてくる音楽に心を打たれた1時間だった。

 

多言語も優る劣らずでありただ私の理解能力不足ということは知った上でこういう言い方をするけれど

やはり日本語の細やかで繊細な表現は素晴らしく胸を打つ。

桜という言葉一つでここまで多数の情景を表現できる感性が美しい。

 

 

ふと考えると、欧米で言う桜の時期=出会いと別れの季節は夏であり

夏は待ちに待ったバケーションシーズンであるため別れの感慨に耽るにはあまりに貴重であり、時間が惜しい。

かといって真冬では別れの辛さが寒さと共に肌身に染みて次の出会いに前向きになれる気がしないし

春というのはもしかしたら理想的な出会いと別れの季節なのかもしれない。

 

とまぁ言っても日本人なら極寒の真冬であろうと灼熱の真夏日であろうとなんだかんだそこから美しさを見出せる気もするが。

 

コロナ禍の現在、唯一の楽しみは毎日の晩酌である。

 

妊娠出産時期はもちろんのこと、子供が生まれてからは思うように自分の食事を楽しめなくなった。

健康的、と言えば聞こえはいいが子供に合わせた時間、メニューで365日を過ごすのは正直非常に忍耐が要る。うちは夫もお酒を飲まないので、それせいもありついつい私が自然とそちらに合わせてしまい、たまに自分の息抜きができていないことに気がついて爆発することが多い。

 

今までは定期的に子供を夫に任せて友達と食事に行くことができていたが、今はもちろんそれも叶わない。

時々娘を先に寝かせてから、自分の食べたいものを食べるという日を意識的に作っており、これが非常に大切ということを実感している。

 

食べたいものを食べたいスピードで食べたいように食べる。

 

自身の酒飲み体質のせいかとも思ったが、例えお酒を飲まない人でも年端もゆかない子供を育てている人は上に述べたことがどれほど貴重な楽しみであるか痛感していることであろう。

このブログを書いている今日は娘を先に寝かせ、パソコンを開きながら好きなものを好きなように食べている。

束の間の独身時代である。

数ヶ月後に大きなプロジェクトが入ったので、15時に終わる娘の保育園のお迎えに間に合わないことになり

それを代わりに引き受けてくれるベビーシッターさんを探している。

 

子供が生まれる前は親も楽しく子育てすることが何より大切、そのためには定期的にベビーシッターにお願いして夫婦での息抜きするのは大切であり必要なコストであると思っていた。

今もそれは思っているけれど、そう簡単にはいかないことだというのがわかった。

 

大切な子供を他人に任せること、不在の家にに入っていただく仕事であることなどを含めて、お互い気持ちよく仕事できるにはとにかく相性が重要になってくる。

また大きな仕事量ではないが長く続けていけることも重要であり、お金で解決できる問題でないためなおさら難しい。