これは前日に行ってきたエーステ



1113日。

推し・滝口幸広さんが居ない世界になって3年が経ちました。


こういうブログを綴るのも3回目で、一昨年・昨年のものを読み返して、この1年のことを振り返ったりすると、少しずつ世間の、そして自分の傷も癒えてきた様子がわかったりします。いや、癒えたわけではないか。その傷を抱えている状態に慣れてしまったっていうだけの話かも。それは当たり前のことで、いつまでも泣いて暮らしてても滝口は喜ばないし、一生この傷とつきあっていくしかないし、だけどそれが寂しくもある。


彼が居た場所も少しずつ変わっていったりしていて、最近だとあらまっきーがエーステ卒業を発表しましたね。そういうの、これから増えていくんだろうなぁ。

かと思ったら2.5界に綺羅星のごとく現れた新星が、実は昔滝口の現場で(本当にちょっとだけ)見たことがある子だったことが発覚したりするから、面白い(笑)

もうすっかり忘れ去ったような滝口に関する記憶がある瞬間にぶわっとよみがえったりするから、人間って不思議だなぁと思ったりします。どこにしまわれてたんだ。


故あって10年ぶりくらいに若俳界に再び注目することになってる私なんですが、本当文化も勢力図もなにもかも変わってて、驚くことばかりです。まぁそれは10年という月日なのか、ここ数年のコロナ禍の影響なのかはっきりしないんだけど。

それでもあのぐらいの年代の役者さんが言うことは10年前も今も変わらないんだなってこともあったりします。

願うのは、全世界の推す方も推される方も、心身共に健やかに、少しでも長く、同じ時間を共有できること。それだけ、そればかりです。

特に自分のファン以外にも愛着を持たれるようなポジションの役者さんは、くれぐれも忘れないでほしい。あなたが思っている以上に、たくさんの人の中にあなたとの思い出があるということを。あなたのような人を何らかの形で失うことが、どれだけ多くの人の心に影響を与えるか。重荷に思わなくてもいいけど、理解はしておいてほしい。清らかでいろ、健やかでいろ。

(縁起でもないこと言うなって怒られそう)


楽しみながら悩みながら成長と躍進をしていく若い俳優さんたちの姿は眩しかったり微笑ましかったりするんですけど、それと同時に自分の気持ちを思い知ることがあります。

わたし、滝口と一緒に年を取っていきたかったんですよ。

滝口老けたなって言って自分にブーメラン返ってきたり、現場に若い子いなくなってきた!って笑ったりとか、配信で喋るのがアラフォーなりの衰えと周りの子育て事情になったりとか、滝口が作品で担う役割見ながらそうか私も会社でそういうの頑張んなきゃいけないなって気を引き締めたりとか、時代の変化と共にアップデートされてく滝口の価値観に影響受けたりとか、ほんとどうしようもなく勝手だけど、そういうの励みにして生きていきたかったんですよ。

それはもう決して手に入らなくて、滝口はいつまでも2030代の美しいままで、「あの日の若者」のまま記憶と円盤におさまってて、それが本当に悔しくて、本当に悲しい。もう3年も経つんだから滝口のことで泣かないぞ、って思うのに、時々こういう思いが降ってきては涙が溢れてしまう。

傷とつきあうっていうのは、この思いもまるごとつきあっていかないといけなくて、それは結構苦しいことだなって思います。


なんかまとまらなくなってきました。もう3年も経つのにまだこんな混濁した気持ちのまま生きてます。どうしてくれんだ滝口め(笑)

私が勝手にそんな思い入れで、半ば依存的に滝口を推していたからこうなっているだけで、別に傷つけられたと滝口を責めるつもりはないんですよ。私が勝手に悲しがってるだけ。今思えば健全じゃあなかったですね。ごめんね、滝口。

いつかまた誰かを推す時がきたら、今度はもうこんな失敗はしないようにしたいな。


毎年この日のブログは自分語りばかりになってしまうけど、今年は特にひどいな(笑)

そんなわけで今年も1113日の一日が始まります。

今年も劇場へ行く予定ですが、心は常に滝口とともに。