2001年6月18日

娘達と私がドイツに来た日

 

あれから早いもので

今日で23年です。

 

夫は、私達を日本に向かいに

くることができませんでしたネガティブ

 

そこで、3歳と生後半年の娘

を私1人で連れてくるのは、

大変だろうと母と叔母が

同行してくれることになりましたニコニコ

 

フランクフルト空港に

降り立った時は、不安より

ワクワク感の方が大きかった

ように思います。

 

母と叔母は、10日間滞在

2人が帰国した後からが

ドイツ生活の本当の意味での

はじまりでした。

 

夫は、多忙で当てになりませんタラー

 

英語もドイツ語も話せない私笑い泣き

上娘は、幼稚園に行かなければ

ならない年齢です滝汗

 

正直、最初の3年くらいまで

あまり記憶がありませんゲッソリ

 

 

 

ありがたいことに

右も左もわからない私たちを

近所に住む日本人や幼稚園の

ドイツ人ママ友達が助けて

くれましたラブラブ

 

我が家の子供達

本当によく病気にかかり

怪我もしました。

 

その時も近所の日本人の方

(母くらいの年齢)が

病院に通訳として付き添って

くれたり、車を出してくれました。

 

日本では、ばりばり

車を乗っていた私ですが、

ドイツに来て1年半は車なし

の生活をしていました絶望

 

 

昨日、なんらかの話から

私が大学病院で親知らずを

抜いた時の話になりました。

 

突然、週末に親知らずが

化膿して口が開かなくなりました。

 

ここから車で20分、路面電車で

40分のところにある大学病院に

緊急外来で処置をしてもらい、

数日後に、そこで親知らずを

抜くことになったのです。

 

当日は、行きは主人が

送っていってくれたものの、

帰りは、自力で家に帰らなければ

なりませんでした滝汗

 

麻酔をかけ、親知らずを抜いた後、

路面電車の駅まで10分という道を

私は、何度も麻酔の気持ち悪さから

道にうずくまり、やっと路面電車

の駅にたどり着き、家に戻った。

と夫に話をすると

 

ええ。。。本当にポーン

なんてひどい、夫だろうねショボーン

 

といいます笑い泣き

 

 

 

当時は、夫は駐在の身

そして、かなり忙しい時期でした。

 

家のことまで頭が回らなかった。

のでしょうウインク

 

大概、子供達が病気になるのも

怪我をするのも夫がいない時でした笑い泣き

 

ちび娘が椅子から落ちて

頭を切ったのも夫が出張者の

対応で忙しい時でしたチーン

 

 

2009年、ドイツに移住決定

夫が家に早く帰ってくる。

夫が家に週末いる。

生活に慣れるまでに時間が

かかりました笑い泣き

 

1996年に結婚して以来

夫がこんなに家にいたことは、

ありませんでした笑い泣き

 

子供達は、夫が週末家にいる

のが本当に嬉しかったようですルンルン

 

 

子供達も家から出て

自立を始めた今

 

やっとのんびり暮らせるかな?

と思っていましたが、

夫とは、夫のやりたいこと、

私は私のやりたいことがあり、

なんだかいつもバタバタして

いる我が家です。

 

でも、バタバタしていた方が

実は、好きなのかもしれません照れ

 

 

 

 

日本に帰って来たら?

どうなっていたのだろう?

と思うこともありますが、

まったく想像できません爆  笑

 

ここに根を下ろし、子供達が

安心して帰ってこれる家を

夫と守り続けていたい。

と思います。

 

自分の居場所は、自分の家が

ある場所なのかもしれません照れ

 

24年目もどんどんドイツ社会に

突入していきたいと思います。

日本普及委員会も勝手に頑張ろう

と思います爆  笑

 

引き続き、どうぞよろしくお願い

いたします。

いつもありがとうございますラブラブ

 

訪問ありがとうございますキラキラ