ふと、
「私の原点」ってなんだろう?
と考えました。
(暇だと色々考えるのです)
私の覚書として書いています。
長くなりますので、興味がある方のみ
お読みくださいませ
めがねざる
私は、3歳からメガネ着用。
当時、子供がメガネをかけている
のは珍しく、母は私を隠しながら
歩いていたといいます
幼稚園に入った頃は、
「メガネざる」とからかわれます。
そして、ぽっちゃり体型のおっとりさん。
特に幼稚園が楽しかった思い出もありません
途中で引越しをして、幼稚園をかわったので
ちょっとホッとしたのを覚えています
小、中学校時代
母は専業主婦。
家に帰ると隣に母が座り
宿題を見てくれるというのが日課
父は、仕事でほぼ家にいません。
テストで悪い点数を取ると
怒られた記憶だけが残っています。
理科が好きじゃなかった
小4の時に、両親にいわれるまま
ミニバスのチームに入ります。
バスケは好きでしたが、
試合は嫌いでした。
今となって、競いごとは嫌い
とはっきりわかります。
父が家にいる時は、シュートの
特訓をやらせられる始末
母からは、
何をやらせても普通だね
と言われる存在
弟が何をやらせてもできた
小6でリーダー格の女子の
いじめ攻撃で、クラス女子崩壊
中学の部活は、母が決めたテニス部
私の意見は通らず、卓球部がよかったのに
部員100人の強豪チームでした。
私の居場所はなかった
強い女子達にいじめに遭いました
今ならはっきりわかりますよ。
間違った場所にいたのだから居場所がないと
高校時代
新設の県立高校に入学
本当に楽しかった
よい友達、先生に恵まれました。
好きかどうかよくわからん
バスケ部に入部
弱小チームだったけど、楽しかった
新設高校だったので、
体育の時間は、校庭の草取り
まだまだ、学校の教材は
そろっていない状態
森の中にポツンと立つ高校
遊びに行く場所もなし。
それでも、楽しかったです。
ここではじめて、
自分を見つめ直すことが
できたのかなと思います
短大時代
同じ高校からの友達は誰もいず
女の園に舞い込んでしまいました。
初めて合コンに参加。
バイトも色々やりました。
しかし、
門限22時という厳しい家訓
に悩まさせることになります
一緒にいた友達が7人いたのですが、
そこにいない人の悪口をいうので、
友達の縁を切りました
今も付き合いがあるのは、1人だけ
その子と数年前に再会を果たしました。
時は、たっても昨日も会っていた
ような会話ができるのがうれしい。
本当の友達だなと実感しました
会社員時代
短大を卒業後、普通の会社員
になりました。
仕事はとっても大変でした
昭和のお父さん達に
「お前は、女だろう」
とののしられることもありました。
もちろん、助けてくれる
昭和のお父さん達もいました。
女子短大から男性だけの職場に
配置されたのには、参りました
仕事はだれも教えてくれません。
「見て覚えろ」という時代。
でも、それが今のキッチンの
仕事で役立っています
そして、
ここで「私は私でいいんだ」
と初めて、自分を認めること
ができるようになります
それは、よい仲間との出会いが
きっかけでした。
仕事が終わると
カラオケにいったり、
ビリヤード、ボーリング、
飲みにも行きました。
週末は、
スキーに行ったり、
旅行に行ったり、
河原のバーベキュー大会
と盛り沢山でした
だれ1人として
人の悪口を言う人はいない
肩の力を抜いて付き合える。
お腹を抱えて笑える仲間。
自分ができる事をすれば良い
できない事は、得意な人が
カバーしてくれる
20人弱の男女混合チーム
全員が集まることは稀ですが、
みんな本当に仲がよかったです
この中でカップルが出なかった
というもの面白い
成人して、門限解除されたのも
大きな要因だったかもしれません
私の原点
両親の言いなりから
「自分はこうしたい」
と行動を変えたこと。
よい仲間との出会って
「私は私でいいんだ」
と思えたこと。
そして、ドイツに来て
「自分の足を地につける」
「自分でできることは自分でやる」
ということを追加しました。
駐在員の時は、夫は、
出張でほとんどいない生活。
私が自分でできることを増やして
いかないと家庭がまわらない
状態でした。
大丈夫、私は私でいいよ。
大丈夫、なんとかなるよ。
大丈夫、やってみたらいいよ。
と唱えながら、ドイツ社会に
殴り込みをかけています
たまに沈没することもあり
こうやって書いてみると、
嫌な時代があったから今があるのかな?
と笑えるようになっています。
みなさんの原点は何ですか?
長々お読みいただきありがとうございます。
訪問ありがとうございます