私は今まで、反対側へ進んでた。
激流の中で
私が藻搔けば、藻掻くほど
進んでいるようで進んでない。
藻掻く、という事は
「何とかしよう」と足掻くこと。
コントロールしようとすること。
その「何とかしよう」は
解決策を考える上で大切だけど
その理由がエゴの場合は逆効果。
現状が苦しいから、何とかする…
エゴが理由だからこそ
反対側に進んでいたのだと
ようやく、腑に落ちた。
そして「受け入れる」ということ。
これも、ただ言葉でアファメーション
をしても真に受け入れることはできない。
「受け入れる」ということは諦めること。
「何とかしよう」と足掻くのを辞めること。
激流の中では、恐怖で自分を見失う。
だから藻掻いて、足掻きまくる。
なので一旦、全身の力を抜いてみる。
そうすると冷静になれ、回りを見渡すと
見えなかった環境が見えてくる。
…私は不幸ではなかった。
幸せはちゃんと掴んでた。
無償の愛も知っていた。
もっともっと!と
自分を追い込んでいたのは
私が成長すれば彼と再会できる、
そう思っていたから。
これまでは、頑張れば報われる世界。
努力、根性。忍耐。ガチガチの昭和。
でももう、それは効かないんだよね。
だからこそ、その昭和のやり方で
やろうとするから上手くいかなくなる。
愛猫の死から、私の心は真っ白になった。
どうする事もできない、
コントロールする事ができない、
死というものを受け入れてから
世の中に対しての
不平不満や、理不尽さは無くなった。
正直、全てどうでも良くなった。
「何とかしよう」を辞めて
全てを諦め、全身の力を抜くことで
自分の不完全さを
ようやく受け入れられたのだと思う。
今見える世界は、180度違う世界。
心穏やかで、優しい世界。
とても居心地が良い。
真っ白は自分は、心地良いね。