政治主導と官僚道=増田寛也・元総務相 | 21世紀のケインジアンのブログ

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昨年の東京都知事選で小池百合子に敗れた増田寛也・元総務相氏が最近、また、マスコミに出るようになった。ここでは、長らく「決められない政治」が続いたため、それを打破するために官僚に対して官邸主導のレールを引いたことは、評価しつつ、そのような関係の中で、官僚がどのように対応していくかが課題だと述べている。そうするには現在の制度は、まだ不十分であり、政策の内容や決定プロセスを有権者が評価・検証できるように情報公開を進め、公文書の保存対象を抜本的に広げなければいけないと増田氏は言う。この観点からすれば、森友問題、加計学園問題の対応は官僚としても極めて不適切だということになる。

誠実に分担しているか

 政と官の関係はどうあるべきか。学校法人・加計(かけ)学園の獣医学部新設問題では「政治の介入で行政がゆがめられた」とか「官僚の萎縮と政権への迎合は、内閣人事局の設置で官邸が官庁の幹部人事を掌握したからだ」との批判がある。政治家の口出しをなるべく封じたいと願ってきた官僚には都合のよい批判だろうが、論点を整理する必要がある。

 憲法では、国民が選挙で選んだ国会議員が首相を指名し、首相が組閣した内閣が行政をつかさどると定める。国民に直接責任を負うのはあくまで政治家である。官僚は国民全体への奉仕者で行政の現場をよく承知しているが、選挙で選ばれているわけではないので、彼らが政策決定の主役になることはあり得ない。官僚は大臣の判断や指示を仰ぎながら行動するが、それは「政治の介入」ではなく、政治主導のあり方に問題はない。有権者は内容の妥当性や決定のプロセスの公正性という観点で一連の行為を評価すべきで、具体的には選挙や内閣支持率を通じて良しあしの判断を政権側に伝えることになる。

 内閣人事局についてはどうか。わが国ではもともと政治家より官僚の力が強いと言われていたが、両者の関係は微妙である。城山三郎の小説「官僚たちの夏」には「大臣など何するものぞ」という戦後の国士型官僚が描かれている。自民党が政策立案能力を高め、族議員が台頭してきた1970年代以降、官僚は政治家と積極的に協調を図るようになり、少なくとも官僚主導とは言えなくなった。

 政治家による官庁人事への介入は以前からあった。筆者が霞が関に役人として籍を置いていた当時、有名だったのは、田中角栄首相が大蔵省(現財務省)の次官に子飼いの主税局長を登用し、本命を省外に追いやった例だ。他にも族議員の意向が幹部人事に反映されていると陰で言われていた。

 だからといって政治優位というわけでもない。政治家と利害が一致するものに官僚は進んで協力するが、意に反するものには団結して抵抗してきたというのが実態だからだ。この微妙な力関係の上に「○○族」と呼ばれる政官のタッグが出来上がり、それぞれが縄張り意識で省益の追求に走り、首相といえども指導力を発揮できなかった。このため90年代以降、官邸機能の強化が大きなテーマとなり、2014年の内閣人事局設置につながるのである。

 「決められない政権」が長く続き、首相の強いリーダーシップが望まれていた中で、内閣の中枢である官邸の指示に各省を従わせるため官庁の幹部人事を一元的に管理することは当然と言えば当然である。かつての民主党政権も、「政治主導」「脱・官僚」を実現しようと、同様に内閣人事局の設置を目指していた。

 最近は、幾つかの省にまたがる複雑な事案も多く、官邸のトップダウンで政策が決められている。内容に賛否はあろうが、わが国の行政に長く欠けていた首相のリーダーシップが実現しているということになる。

 ただ、権力の適切な行使は悩ましい問題だ。中曽根康弘内閣で官房長官を務め「カミソリ」と恐れられた後藤田正晴氏は著書「政と官」でこう述べている。

 「政治家が役人の人事にむやみに口を出すことは慎むべきだ。そのようなことをすれば、かえって役所の混乱を招く。しかし、必要なときには、果敢に発揮することも肝要なのである。そうしなければ、政治の意図を役所に浸透させることはできない」。政官を知り尽くした人の言葉は重い。

 所管分野に関する官僚の専門的知識や能力は圧倒的に優れている。それを政治判断に生かすため官僚は進言し、時には諫言(かんげん)を行う。一方、政治家は政策を最終決定して、間違っていれば責任を負う。両者が役割分担し、それぞれが誠実に行動することに尽きる。是非を判断するのは有権者だ。

 そうするには現在の制度は、まだ不十分だ。政策の内容や決定プロセスを有権者が評価・検証できるように情報公開を進め、公文書の保存対象を抜本的に広げなければいけない。この観点からすると、森友問題、加計学園問題の官僚の対応は失格ということになる。日本の官僚は政治家個人との間合いの取り方には慣れていても、トップダウン型の政治に組織として対応するすべを確立していない。

 政官関係がぎくしゃくして、面従腹背の官僚が量産されては困る。政治主導の下の「官僚道」について、議論を深める必要がある。