多くの経営者が登場する「私の履歴書」であるが、この5月18日付けの川村氏の「副」という職位の難しさを実感したという視点は新鮮だ。勿論、川村氏も後に社長を経験するからこそ、通過点である副社長というポジションを客観的にみることができるのであるが。副社長でありながら「当事者意識が希薄だった」という回顧は示唆に富む。
以下、重要と思う部分を書き写します。
4年間の副社長時代は「副」という職位の難しさを実感した。
副社長ともなると、担当だけはたくさんある。両手では足らないくらいだ。多くの分野を管轄しているのだから、忙しいことは忙しい。スケジュール帳はいつも真っ黒。
だが、なぜか自分の中で「しっかり仕事をした」という実感が湧かない。この時期、日立は約5000億円という巨額の赤字を計上する危機の時代だった。
にもかかわらず、「当事者意識が希薄だった」。
これは私の問題でもあるが、副社長というポストの問題でもあった。
本来は、状況を分析し、戦略を立て、議論を深め、社内外に説明をし、その上で改革を断固実行すべきなのだ。それなのに日々の膨大な仕事量に流されることを良しとしてしまった。
自覚は無かったが、一種の逃避をしながら、懸命に働いている形を作っていた、と言われても仕方がない。忙しく髪を振り乱して働いている人間が本来の仕事をしているとは限らないことが分かった4年間だった。
日立製作所CM 「日立の樹」全集