風知草:原発、無責任時代=山田孝男
一貫して脱原発の毎日新聞・山田孝男さんが川内原発の再稼動に触れたコラムです。よく読んでいただきたいと思います。山田さんは、一貫して脱原発を主張、特定秘密保護法案にも断固反対。大いに共感できる人ですが、集団的自衛権の行使容認には賛成なのが玉に瑕です(苦笑)。
それでも、毎日新聞は、社説で集団的自衛権の行使容認には反対ですが、山田孝男さんは自分の「風知草」のコラムで集団的自衛権の行使容認に賛成と書いています。新聞社としての意見と違った考えでもコラムで書かせています。
こういう自由なところが、毎日新聞のいいところだと思います。どこかの大新聞のようにドンがこうだといえば上から下まで右へ倣えというのとはずいぶん違いますね。
毎日新聞 2014年07月21日 東京朝刊風知草:原発、無責任時代=山田孝男
毎日新聞 2014年07月21日 東京朝刊http://mainichi.jp/shimen/news/20140721ddm002070073000c.html
平成のニッポン無責任時代、佳境である。
原子力規制委員会が、九州電力川内(せんだい)原発の1、2号機(鹿児島県)は新規制基準に適合している--と認定した(16日)。
ただし、「安全とは、私は申し上げない」と規制委員長が言った。官房長官はこう言った。「安全は規制委の判断に委ねる」「個々の再稼働は事業者(電力会社)が判断する」
川内原発は10月にも再稼働する見通しだ。
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米国の核物理学者、アルビン・ワインバーグ(1915~2006年)がこう説いたそうだ--。
・原発の安全装置がすべて故障した場合、過酷事故に至る可能性を科学的に示すことはできる。
・安全装置が全部同時に壊れる可能性も科学的に示すことができる。
・だが、だからどこまで備えるべきかには、科学では答えられない。
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原発という巨大技術と付き合うには国家の明確な政治意思が要る。緊急時を制御できる備えが要る。原子力は、なんとなく依存するという態度を許さぬ苛烈なエネルギーである。
だが、政府は、科学の名を借りて国家意思をあいまいにしている。
邪悪な動機に基づく判断だとは言わない。経済浮揚を急いだ結果だろう。しかし、それによって何が失われるかは、もっと顧みられるべきである。
原子力規制委は62回、延べ110時間の審議を尽くした。地震・津波の想定規模のハードルを上げ、対策を修正させた。だが、それで十分かどうかは誰にも分からない。
他方、誰にでも分かる疑問として指摘されているのが、緊急時の避難計画が審査対象に含まれていないという問題だ。「そこは市町村でやれ」という、地方への逆依存である。
アメリカは違う。
連邦レベルの米原子力規制委員会(NRC)が州政府・自治体や事業者の緊急時計画を厳密に評価し、運転を認可する。
それも形ばかりの審査ではない。施策の実行可能性をチェックし、複雑に想定を変えた長期訓練の実施を義務づけている。
ひるがえって日本。
あらかじめ原発事故に備える政府の意思は弱い。万一の対応は原子力関係法ではなく災害対策基本法に規定されており、自然災害と同じ位置づけだ。
以上は、原発などのリスク管理を専門とする谷口武俊・東京大政策ビジョン研究センター教授(61)に教えていただいた。
長年、技術とリスクについて考えてきた谷口教授がこう言っている。
「日本人は適応能力が高いと言われ、多くの日本人も自負していると思いますが、その適応とは、その場しのぎのツギハギに過ぎない。本質的な問題を学びとり、大きな変化に対応していくことは、日本人はむしろ苦手でしょう」
教授のこの感想は「(最高ではなく)ほぼ最高レベルに近い」規制基準という規制委員長の逃げ腰の説明を思い出させる。
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植木等主演の映画「ニッポン無責任時代」がヒットしたのは高度成長時代の1962年だった。
青島幸男作詞の無責任ソングの名文句の中でも「分っちゃいるけどやめられねえ」と「そのうちなんとかなるだろう」ほど、原発に似合う警句はない。
高度成長から半世紀。なお経済重視で破れた時、次の代償は計り知れないものになるだろう