常日頃、私の評価が極めて低い読売新聞であるが、その中で唯一、私が楽しみにしている連載がある「昭和時代」である。
戦後の大きな事件や出来事を当時の新聞や雑誌などを引用しつつ、文化欄1面全部を使って、毎週土曜日に掲載されている。遙か昔の戦後の大きな事件や出来事の息づかいが、リアルタイムの新聞・雑誌で取り上げるくらい詳しく書かれていて臨場感さえある。
http://ameblo.jp/mimura1982/entry-11065217835.html
三島の名前がノーベル文学賞の有力候補として外電経由で日本のメディアに報じられたのが1965年。しかし、1968年、日本人初のノーベル文学賞に決まったのは、川端康成だった。川端は三島が文壇に出るきっかけをつくった人物である一方、川端は三島にノーベル賞への推薦文を依頼している関係にあった。
川端にノーベル賞が決まったことに対する三島の思いはかなり複雑だったようだ。三島はこんな言葉を残している。「もし、川端が取らなくて俺が取っていたら、日本の年功序列はがたがたになったのになあ。そして、こう付け加えた。次に日本人がもらうとしたら、俺じゃなくて大江(健三郎)だよ」。その予言は26年後に的中する。
「一つの結果は、一つの要因だけじゃなく、多くの要因が重なって、一つの結果になる。天才の心象風景は、凡人に推し量れるものじゃありませんが、虚弱体質で運動が苦手、学習院でいじめられたコンプレックスはずっとあった。最期は、男らしいってのはこういうものだよっていう気持ちもあったと思います」。
三島の自決は永遠の謎ではあるが、この美輪明宏さんの証言は、私がいままで聞いたなかで一番そうだなとうなづけるものである。