喪中でした。
自分の記録として綴ります。
GW、5/3~5/4実家へ帰省し、5/5は友達と花見。
帰宅して間もない19時。
兄からの電話で、施設に入所している祖母の様態が急変し、
病院に搬送されたことを知らされる。
「まず、おなかの子供に障らない様に、驚かないようにしてて」と兄。
19時半。母からの電話。
息を引き取ったことを知らされる。
5月5日 18時57分。
兄が電話をくれたときには、すでに息を引き取っていたが、
家族は、妊婦の動揺を心配し、段階的に教えてくれた。
様態急変から、たった2時間で他界した祖母。
駆けつけた家族、親戚。
だれもが、その瞬間に間に合わなかったらしい。
旦那さんは「泣いてもいいよ」と声を掛けてくれたけど、
不思議と涙が出なかった。
祖母は施設に入所する前に、左脚を手術し、
筋力低下も相まって、自力歩行は難しい状態となり、
施設入所と同時に、車椅子になった。
実感の無いまま翌日帰省の準備をし始めた
午後9時過ぎから、祖母が手術したところと同じ。
私の左脚つけねが痛み始めた。
夜中に目覚めても、その鈍痛は続く。
祖母からの何かのメッセージか?
不思議な経験。
それから、夜が明け、
GW明けのだるい雰囲気の会社へ出向き、
休めないながらも最低限の仕事をこなし、午後から早退。
東京から急遽帰省した妹と合流し、実家へ向かう。
父親の姿を想像すると、それだけで涙が出た。
「帰りたくないな」と妹と口々に話して、帰路についたとき。
息を引き取ってから1日も経っていないのに、
親戚中から花が贈られ、
花環が並び、
灯篭から何から、
それはそれはキレイな祭壇が出来ていた。
業者が事務的に進めたのだろう。
父が「ご苦労様」と迎えたときの表情。
目が赤く充血していた。
涙ツブこそこぼれないけれど、
落胆している気持ちが手に取る様に伝わる。
家族は悲しむ暇も無いというが、本当にそうだった。
実感が無いというのが、本音。
妊婦の私は、
「おなかの子を連れて行かれる。」
と云われているため、
祖母の体のある部屋、
祖母の見送り、
献花、
火葬、
お墓への埋葬、
全部立ち会えなかった。
ひたすらキッチンでお手伝いするだけ。
初めて祖母と同じ部屋に居られたのは、
最後の最後、火葬した骨を自宅に持ち帰り、
自宅での葬儀の40分だけだった。
周りは火葬のとき、すでに涙が枯れていたのか、
自宅での葬儀が始まると同時に涙がこぼれたのは、私だけのようだった。
皮肉にも、父は、母の日に、母を見送った。
母に「ありがとう」を伝える日に、
母の生前の親交に感謝の意を述べた。
カーネーションが贈られるはずの母は、
子供だけではなく、だれからも、本当にたくさんの菊の花が贈られた。
亡くなった祖母の名前もキク。
あと2ヵ月半でひいおばあちゃんにできたのに。
そう思うと、目頭があつくなる。