薄曇りの街〜呼ぶ声〜 | みむのブログ

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こちらはス/キップ/ビートの二次小説ブログです。CPは主に蓮×キョ-コです。完全なる個人の妄想から産まれた駄文ですので、もちろん出版社等は全く関係ありません。
勢いで書いていますので時代考証等していません。素人が書く物と割り切ってゆるーく読んでください。



骨が軋む音がするのを、どこか他人事に聞いていた。

「っあっ…‼」

思わず零れた小さな悲鳴に、相手の顔はいっそ忌々しげに歪んだ。

キョーコが放った銀の弾丸は確かに相手を捉え、今も血を流し続けている。
人外の美しさを持つ顔が歪むのを見て、キョーコは痛みの中で嗤った。そのはずみで口の中から生温い血が零れ落ちる。

「………‼」

気力を振り絞って己の血で濡れた手をあげると、首を締める相手の手首を強く握った。

ジュッ…と焼け付く音がし、目論見通り苦悶の声を上げた相手に手を離された。

けれど、もう全身、どこにも力が入らない。
水を吸った砂袋のように重い身体に、けれどなんとか踏みとどまろうと足掻くも、頬に走る痛み…砂利で擦ったことで地面に崩れ落ちたのを知った。
けれど彼女の目は敗北を知らずに炯炯と光る。

(立たなくちゃ…!)

そのうち、増援が来る。必ず来る。

あの人の所へは、決して行かせはしない。





秋の風と仕事依頼を持って、その人はやってきた。

「いいタイミングですね、社さん。ちょうど焼けたところなんですよ」

黄金色のアップルパイをサーブしたキョーコに、訪問者…社は満面の笑みを浮かべた。

「おいしそうだね。これだから君達の担当はやめられないよ」

「だからいつもおやつ時をねらって来るんですか?社さん。」

社から受け取った資料に目を通していた蓮が呆れた顔をした。彼の前にも、やや小さめにカットされたアップルパイがある。
素知らぬ顔で社が銀のフォークを差し込めば、パリパリと軽い音。

さくりと割ったアップルパイの欠片を口に入れた社の顔が蕩けるのを見て、紅茶を入れ終えたキョーコが嬉しそうに笑った。

「まったく…。呑気な顔で、持ってきた話は厄介事だ。」

蓮に差し出された資料に目を通したキョーコの顔色が変わる。

モゴモゴと大きなアップルパイの欠片を飲み下した社が、行儀悪くもフォークをひょこひょこと振った。

「しょうがないだろ。今回は大物だ。こちらとしても中途半端な実力じゃ、その街にすら近づけさせられないよ。」

実力者複数で、事に当たってもらう。
社の目が眼鏡の奥で油断なく光った。

「なにせ相手は、最強種だからね」

「血族…」

強張ったキョーコの声に、蓮は黙って紅茶に口をつけた。
ふわりと広がる芳醇な香りに、けれど今は浸っている場合でもない。

「すでに被害者は三人。ねぐらは見つかってない。…ねぐらを見つけて、昼日中に叩ければ、それが一番なんだが。」

社の言葉に、蓮が頷いた。

「そこは相手も最も注意を払うところですからね。簡単にはいかないでしょう。…しかし、一つの街で三人も、なんて随分とその街に固執する血族だ。」

「ハンターの存在なんて、歯牙にもかけちゃいないんだろうさ。足がついたって、どうとでもなると思ってるんだ。血族は総じて自信家で気位が高い」

生粋の血族を目の前に、社はせいせいと言い放ってアップルパイの攻略にかかった。

「今は四人目のお嬢さんが…印をつけられているんですね」

資料を読み終えたキョーコが、少し青ざめた顔で蓮を見た。

「呑気にお茶してる場合じゃありません!私、すぐに仕度してきます‼」

言うが早いか、彼女は自分のお茶にもアップルパイにも手をつけずに部屋を飛び出して行ってしまった。

止める間もなく、思わず見送ってしまった社に、こちらは彼女の行動にある程度慣れている蓮が呼びかけた。

「それで、何人位集まりそうですか?そして現地での俺たちの配置は?」

ごくん、とアップルパイの塊を飲み干してしまった社は慌てて紅茶も飲み干して己の手帳をめくった。

「そうだな、せいぜい集まれるのは6人ってところだろう。キョーコちゃんは昼夜の探索、お前は被害者のガードだ。」

聞いた途端にゆらりと怒気が立ち昇ったのに、事態を予想していたはずの社はやっぱり背筋を凍らせてしまった。

(やっぱり怒った…!怖い怖い怖い~…‼)

「…しょうがないから聞いてあげますけど。どうして俺たちの持ち場が別々なんですか」

「ひ、被害者のガードに一番力をいれるのは当然だろ…!今回のチームにお前以上の奴がいないんだから当然の配置だ。」

「…それで?血迷った血族が徘徊してる街に、彼女を一人で放り出すのは…?」

(ひぃ…!や、闇の国が見える…!)

絶対零度を示す怒気に、社は震え上がった。救援要請があった街でなくても、ここで死ぬかもしれない。
しかし、怯える社にまったく、これっぽっちも追求は緩まない。

「社さん…?俺から俺のパートナーを奪う理由は…?」

「ひっ…人出不足なんだ…!血族相手に6人だぞ!しょうがないだろ、こんなに被害が進むまで放置されて、急な事態で!たまたま手が空いてる退魔師が限られてるんだ!お前は一人で屋敷の守備、他は全員街の配置だ!屋敷に近づけずに奴を叩く!」

「俺を一人にするんですか。なんて非道…」

「冷えた目で言うな‼」

「ひどいです社さん。魔の最強種相手を一人でさせようだなんて。俺には荷がかち過ぎます。なので最上さんをつけてください。」

「非力なフリをするな!仮に被害者の所まで血族が侵入しても、お前がいればすむだろうがこの百人力め!」

「ならば俺が一人で行きます。」

テンポのよい言葉の応酬を続けていたはずの社は、思わず続ける言葉を失った。
その黒い瞳には、怒りも悲愴感もなく。まるで凪いだ湖面のような色に、社の喉が凍りつく。

「他の連中もいらない。俺が一人で片付けます。」

「え⁈なんでですか?」

声を失った社の代わりに蓮にかけられたのは、そんなキョーコの素っ頓狂な声だった。
大きな仕事鞄を持って入り口に佇むキョーコを振り返って、蓮が眉をしかめる。

「最上さん」

「敦賀さん…?え…?なにがどうなって敦賀さん一人でなんて話に?」

慌てて駆け寄ってくるキョーコに、苦虫を噛み潰したような表情をする蓮を見て、調子を取り戻した社が無理矢理笑顔を作って言った。

「キョーコちゃんと持ち場が別々って言ったら、拗ねちゃったんだこいつ」

「社さん!」

「え!私、敦賀さんと別行動なんですか⁉」

「…なんで嬉しそうなのかな?最上さん。」

社の言葉にパァッと顔を輝かせたキョーコを振り返って、蓮がことさら優しく微笑む。
そこに確かな苛立ちを見てとって、キョーコの顔は一転して一気に青ざめた。

「だっ…だって、協会の方が私の一人行動を認めてくださるなんて、初めてで…」

きゅっと仕事鞄を抱き締めたキョーコが、蓮と、協会からの使者…社の顔を交互に見た。

「それって、『私』の…私の実力を、認めてくださったって、ことですよね?」

おずおずと告げられた言葉に、虚をつかれたように目を見開いた社は、すぐに表情をやわらげた。

「もちろんだよ。キョーコちゃん。」

大きく頷いた社に、キョーコの頬が薔薇色に染まり、期待に満ちた顔で蓮を仰ぎ見た。

煌めく大きな瞳に、揺るがぬ決意を見てとって
蓮は盛大な溜息をついた。

つまりは、そういうことに、なった。







虫の声だけがリーリーと空気を震わせる夜。
キョーコがふと夜空を見上げれば、そこには彼女の相棒の瞳のような、優雅に弧を描く月がある。

被害者は若い女性ばかりが3人。

やつれた顔に血の気を喪った肌。
何よりも首筋にくっきりと残った牙の跡。

血族。

昼間は血族のねぐらを探すもハズレ。土地勘がない街は不利だが、そんな言い訳は言っていられない。

『必ず。いいかい?約束だ。危なくなったらその力、全て君自身を守る事に使う事。いいね?』

心配症の先輩の声が脳裏をよぎって、キョーコが溜息を着いた時、

視界の隅、並ぶ家屋の屋根を渡るような影が

キョーコは躊躇いなく追跡を開始した。
インカムで本部に連絡をいれる。
まるで重さを感じさせない動きで屋根から屋根へと渡る影が向かう先は、彼女の相棒が詰める…血族にマーカーをつけられた女性の住居がある。

影を見て、キョーコは奥歯を噛み締めた。

(ターゲットだとしたら、…どうする。どうしたらいい。)

思わず腰に手をやって、ホルスターに下げた武器の存在を確かめた。

(やれるの…?それとも皆が来るのを待つ?ダメよ。間に合わない。このままじゃ屋敷に着いてしまう…!)

四つ足の獣以上のスピードで駆け抜ける影を、キョーコはピタリと一定距離を守って追う。

素早すぎて銃を構えていられる余裕がない。

あるとすれば、それは、マーカーをつけた獲物の屋敷に入るその時。

血族の規律。
人の領域と本来ならば交わらぬ血族は、家人の許しがなければその領域に踏みいる事ができない。

だから美貌の血族達は、甘い言葉で囁く。


ーーー愛しい人…

ーーーこの扉を開けておくれ。

ーーーもっと近くに居たい。


影は門扉を飛び越えると、軽々と二階のバルコニーに降り立った。

家人の許しを得るために、ターゲットは必ず立ち止まる…!

素早く銃を構えたキョーコの指が、躊躇いなくトリガーを引いた。

まず一発。間髪いれずさらに撃つ。

ヒット

しかしキョーコは盛大に顔をしかめた。

(ダメ!心臓から遠すぎる…!)

ゆっくりと、肩から血を流した血族が振り向いた。

夜の闇に煌めく真紅の目と、キョーコの目が合う。




「ああ…キリト…私の愛しいひと…!」

うわごとのようにそう言って窓辺に寄ろうとする赤毛の女性の肩を抑えながら、蓮はバルコニーから再び飛び立つ影を見送った。

(始まったか…)

マーカーをつけられた者は尋常でない力で蓮から逃れようともがくが、それを許す蓮ではない。

「キリトぉおおぉ!あああぁあぁ‼」

美しい髪を振り乱し狂ったように暴れる令嬢に、メイドは青くなって固まるばかりだ。

夜着がはだけむき出しになる真白な腿に、こぼれ落ちそうになる豊かな乳房を無感動に眺めて、蓮はベッドのシーツを力づくで抜き出すと彼女を包み込んだ。

「…ね、だから縛り付けておけって言っただろう。もう、いいかな?」

革のベルトを見せる連に、屋敷の主人が壊れた人形のように頷いた。

到着してすぐ、ベッドに横たわる娘を革のベルトで固定しようとした退魔師を、怒りの形相で止めたのは父親だ。

まさか、ここまでとは考えもつかなかったのだろう。

血走った目を見開き、歯茎までむきだして吠える娘を、恐怖に歪んだ父親の目が見ていた。

従僕に手伝わせて令嬢の固定を終えた蓮は、「キリト…ね」と呟いて銃声が鳴り響く外を見る。

恐らく偽名であろう。血族が獲物程度に名前を明かすことはない。

名前は真実を繋ぐ鎖。

そんなものを呼ぶことは、剥き出しの心臓を無遠慮に鷲掴みするのと同じだ。

彼の怒りを買う。

そば立てた耳に、屋敷の住人達の騒音に混じって、小さな
本当に小さな悲鳴が聞こえた。

ざわりと全身が総毛立つのと同時に、蓮は勢いよくバルコニーへと続く窓を開き、外へ身を乗り出した。

『決して、何があっても開けてはならない』

到着してすぐ、この屋敷の全員に言いきかせた蓮自身の言葉だ。
「あ…!」と零れた誰かの声を後ろに聞き流しながら、外に向けた蓮の瞳が一気に紅く染まった。


広い庭に立つ、

血族

その手にぶら下がる華奢な影を認めて、真っ赤に染まった蓮の瞳孔が引き絞られた。

「決して彼女のベルトを解くな」

地を這うような声で命じた後、蓮の足が床を蹴る。

宙を舞い、文字通り一足飛びで距離を縮めた蓮の目に、驚きに目を見開いたターゲットの顔。

すぐに視界から消えた。

容赦のない蓮の脚が、ターゲットを吹き飛ばしたせいだった。



視界の隅でキョーコが地面に崩れ落ちるのを認めて、けれど蓮は追撃のために疾走した。
視界の端に揺れる金色。

「敦賀さん!いけません‼」

キョーコの声を無視して蓮は走る。
鼻をつく、甘美な血の香りに脳が焼け付くような感覚を覚えた。
立ち上がったターゲットの腹に拳を叩き込み、呼気と共に側頭部を蹴り飛ばす。
力の差は歴然だった。若い血族が震え上がるほどの一方的な暴力。

「…っあ……‼」

蓮の赤い目を認めて、若い血族の目が見開かれた。

「貴様…同胞か…⁈」

ざらりと揺れる蓮の髪が、月光を弾いて金色に輝いた。

「一緒にするな」

鋭く伸びた蓮の爪が、ターゲットの喉を狙う。寸前で避けて距離をとる若い血族に、蓮がふっと笑った。
そのあまりの美しさに、恐怖に歪んでいたターゲットが惚けた。

「楽に死なせてやろうか」

蓮がとったのは小さな銃。キョーコの拳銃だ。

すでにボロボロな血族が瞬く間に口の中に銃がつっこまれた。

間近でかち合う真紅の瞳が、かたや恐怖にゆがみ、かたや愉悦にひずんだ。
にぃ…っと上がる口角が、なびく美しい金色の髪さえ、残虐さを加速させた。

勝負は、つかなかった。

「クオーーーン‼」

悲鳴に近い呼び声が、彼の指を止めた。



「拘束するのよ‼殺してはダメ!」

地面に這いつくばったまま、キョーコは臆することなく真紅の瞳を見返した。

「いけません!あなたが殺してはいけません!」

キョーコの言葉に、蓮…本性の名を久遠といった…がコトリと首を傾げた。

「なぜ?」

金色の髪が揺れ、紅い瞳が残虐にたわむ。

視線の魔力に縛られた若い血族が、瞬きすら許されずにただ喘ぐのをチラリと眺め、彼は言った。忌々しげに言葉を吐き捨てる唇の隙間から、鋭い牙が覗く。

「君を傷つけた。…そもそも、こいつは協定違反者だ。事の流れで殺してしまっても」

「ならば私が殺します!」

酷薄な久遠の声を遮って、キョーコが言った。
震える脚で立ち上がる。

「あなたはダメ。私がやる。」

「…なぜ」

同じ問いを、今度は少し呆然と彼は言った。
揺れる紅い瞳を、キョーコはひたりと見据えた。

「なぜって、同族殺しなんて、するもんじゃないから」

「…どうして?キョーコ」

「同族から追われる事は、辛いことだから。」

私が人を殺しそうになっても、あなたはそう言うでしょう。

キョーコの声に、蓮の真紅の瞳がゆるゆると碧眼に変わる。

自分の腕を押さえるキョーコの指の間から、濁った血が流れ出ている。
苦痛に顔をしかめながらも、しかしキョーコは目を逸らさなかった。
光を凝縮したような金色の髪、晴れ渡る空のような青い瞳。
本性を現した彼女のパートナーは、神様の子供のように美しくありながら、夜よりも深い闇を背負ってそこに立つ。

じっとキョーコの流れ出ている血を見つめた後、蓮は長いため息を吐いた。
そして無造作に拳銃でターゲットの頭を殴りつけて、血族をまるで人間にするように昏倒させてしまった。


ようやく増援が駆けつけ、現場が一気に騒然とする中、キョーコに歩み寄った蓮が傷口を手で圧迫している彼女を横抱きに抱え上げた。

「敦賀さん…!」

「だいぶ血を流したね」

氷のような碧眼にひたりと見据えられて、キョーコの喉が変な音を立てた。

キョーコの姿は散々たるものだ。
目元は青い鬱血を伴って晴れ上がり、口元に血が滲んでいる。
腕と脇腹、腿に裂傷。
立ち昇る血の香りと怒りとで、蓮は眩暈を覚えた。

「す、すみません…。増援が来るまではと思ったのですが…敦賀さんの手を煩わせてしまって…」

「バルコニーで粘れるんだから、君は待機するべきだったんだよ。」

すみませんと謝るキョーコの口の端に滲んだ血を舐める。甘い。
魔物にとっては聖水と同様の退魔師の血も、しかし彼女の相棒である蓮にとっては甘露である。
腕の中で「ひぎゃあ」とかなんとかキョーコが喚いているのを無視して、蓮は与えられている宿に戻るべく足を動かした。


「降ろしてくださいって言ったのに…!」

屋敷の使用人にこの姿を見られてしまったことにショックを受けたキョーコは両手に顔を埋めて悶えていた。
この姿…久遠にお姫様抱っこされている姿である。

恥ずかしさに悶えるキョーコになんのコメントも与えず、久遠は借りている部屋のドアを開けた。
スタスタと部屋に入る久遠に、キョーコがハッと顔を上げる。

「ダメですよ…?キャー!ダメダメダメー‼」

「君はさっきからそればっかり」

広いベッドに抱えていたキョーコを落とすと、大怪我をしているはずの彼女はすぐさまベッドから跳ね起きた。
しかし、そこを逃がす久遠ではない。

「染み!血の染みがシーツに‼」

ここは依頼人の屋敷だ。シーツが汚れようが絨毯が汚れようが使用人が洗うか新しいものを買うだろう。
しかし、真っ白なシーツに真っ赤な染みが広がるのを見て、キョーコが目を回した。

「血の染みは落ちにくいんですよ!久遠のバカ!こういう時はバスルームに連れて行ってください!」

「さすがにゲストルームにバスまでついてないよ。お湯を持ってきてもらうように頼んでおいたから」

ボソリと呟くように言った久遠に、キョーコの剣幕もピタリと止まった。

怪我をしていない肩と腰を押さえられた…押し倒された状態のまま、真近にあるキラキラした顔を覗き込む。
不機嫌を隠しもしない久遠の青い瞳を覗き込む、不安に揺れた顔。

「……言わないでくださいね。『やっぱり一人でやるべきだった』なんて」

「………。」

久遠は応えずに、キョーコの血塗れのデニムを引き裂いた。

血族に負わされた裂傷は、今も新たな血を溢れさせている。
只人が負ったそれとは違い、キョーコがその毒に侵されることはないが、
とにかく清めなくてはならない。
屋外でのドンパチのせいで、傷口には小さな石や砂が入り込んでしまっていた。
水で乱暴にでも掻き出さなくてはならないことを考えて、キョーコは派手に眉をしかめる。

またも無頓着に血塗れのデニム生地を絨毯に落とした久遠に物申そうと口を開きかけたキョーコは、そのまま悲鳴をあげた。

「そんなところ…!」

彫刻のような顔が、キョーコの太腿に顔を埋めていた。

ぴちゃり

ざらりと舌が傷口を這う痛みに、恥ずかしさが吹き飛んだ。ただ絶句して悶えるしかない。

痛みに暴れる脚と腕を器用に押さえ込んで、久遠の舌が探るように傷口を這う。

「いっ~~~~‼」

痛い。

なんと言っても無茶苦茶痛い。

顔をあげた久遠は舌の上に乗った小石をつまみ上げるとシーツになすりつけてまたキョーコの太腿に顔を埋めた。

そんな血の筋が、いくつもシーツにつくられた後。

「…終わった」

唇についた血を舌で舐めとった久遠がそう言う頃には、キョーコはグッタリとベッドに沈み込んでいた。

「バカ…」

涙目でそうなじられて、久遠が無表情になる。

「水で、洗えばいいじゃないですか…」

「もったいない。それに、傷の痛みを感じなくなっただろう」

太腿の傷は、血も止まっていた。

血族の唾液には麻薬のような効果がある。
噛み付かれた人間が、恍惚と次も首を差し出すのはそのせいだ。
キョーコには利きにくくて、こういう時には不便である。

暴れすぎて力尽きたキョーコは、返す言葉もなくベッドに沈む。

「次は腕」

キョーコの細い腕をとった久遠に、キョーコが弱々しく抵抗した。

「ダメだよ。腕の次は脇。その後に顔」

「水で洗いますから…!敦賀さん、ごはんなら後で差し上げますから普通に治療させてください…!」

華奢な手が大きな手を剥がそうと足掻くのに、弑逆心を煽られるのは、本性の姿に戻っているからか。
久遠は眉間に皺を寄せると、傷ついたキョーコの腕をベッドに押し付けた。

「つっ…!」

「久遠って、呼んで」

「…え?」

苦痛に歪んでいたキョーコの顔に、大きな疑問符が浮かんだ。

「名前。久遠って呼んで。さっきみたいに。」

そうしたら止まれるかも。

ボソリと言うパートナーの言葉に、キョーコは目を丸くした。

「…え…?だって、お嫌でしょう?」

血族にとって、本名は本性の一部だ。
丸裸の、核部分。
不用意に呼ばれることは、不快でしかないのに。

「嫌じゃないよ」

その名前の時は、君の鉄壁の敬語が少しだけ崩れるからね。

久遠はそう言って、長い睫毛を伏せるので、キョーコは気を失いそうになる痛みを一瞬だけ忘れた。

「君のお願いを聞いて、あいつを生かしておいてやったんだから。それ位のご褒美をくれてもいいと思う。」

「…嫌がることをしろなんてご褒美、聞いたことないですよ」

「だから嫌じゃないってば」

誘惑に抗えず、蓮は目の前の傷口から血を啜った。

「呼ばないと、全身舐め回すけど」

ゴン…

「あ、あの…」

突然かかった第三者の声に、キョーコは青くなった。
第三者…屋敷のメイドは逆に真っ赤になって部屋の入り口に立ち尽くしていた。…手には小さな水甕。動揺の末、扉に身体を打ち付けてしまった彼女は少し床にこぼしてしまったが、そこになお湯がなみなみと注がれているようだった。

「も、申し訳ありません…。ノックをしたのですが、お返事がなかったので…お湯だけでも置いておこうかと思いまして…」

あわあわと言い訳をしながらもチラとベッドを見ては更に顔を赤くした若いメイドは、水甕だけ置いて俯いたまま「失礼します!」と頭を下げると、逃げるように部屋を去った。

言い訳すら言えず、キョーコの顔からざっ…と血の気が引いたのは、なにも怪我によるものだけではないだろう。

なぜ
よりにもよってあんな変態発言の時に…!

「く…クオーン‼」