女の子が生まれた時は、非常に嬉しい思いをしました


子供が大好きで保母さんに為りたかった位なので、尚更嬉しかったです

下の子は愛する里と書いて(あいり)とつけました。ひかりとかあかりとかも考えたのですが、近所に居たのでやめました❗
今は同じ名前がたくさんいますが、当時は中々同じ名前が無くて、何となく自慢でした

生まれて大きく為る内に、一緒に何でもやって遊んだ気がします。育児7ヶ条を決めて為るべくそれに習う様に育てたつもりです。
そして少し育児方を改善しないとなぁと言う歳(上の子7歳下の子4歳)、私は2階の窓から事故で落下し、脊髄の骨を折り、神経を切り脊髄損傷の下半身完全麻痺と言う怪我を追う事に為りました(*´∇`*)
そして、理想の育児方を追いかけて入るような現実では無くなり、必死で子育てをしなくてはらなく為りました。もっと酷い事に1番大事な時期に子供と離れて暮らす様に追い詰められました

とても辛かったです。何故こうなったのか何度も自問自答しました

側に居るのが当たり前のようだった娘達と、離れて暮らす事は身を切られる様な思いでした❗
でもそれ以上に辛かったのは、娘達二人です。怪我をした時から急に母親が長期入院で、寂しい思いをしていたと思います。
それでも元気にお見舞いに来てくれて、別れる迄は泣かず私の顔が見えなく為ると泣いたそうです。怪我をして別れる迄に思った事は子供は大人の事、私の身体の事を良く見ていて、大人より大人だと言う事です

離れて暮らす複雑な環境の中。娘達は思春期等向かえ、色々悩みもあったはずだけど、誰にも相談する事なく頑張って生きて来てくれました

そしてぐれたりする事も無くて、真っ直ぐに優しい子に💗
育ってくれたと思います。有り難うね……(*- -)(*_ _)何もしてあげられなかったけど、一生懸命生きて来てくれて、あなた達は強かった❗
娘達よ。これからも元気に幸せに生きていって下さいね!🎵頼りないけど今なら少しは助けに為る事が出来るかも知れない

