何事においても正しいか正しくないかで判断しようとする人がいます。
その人は、どこかで必ず行き詰ります。
世の中というのは正誤関係で成り立っているのではなく、人々の感情で成り立っているものだからです
正しいか正しくないかという模範解答があるのは、学生時代の試験までで終了しています。
社会に出てから大切なのは、いかに人が納得できる自分の意見を述べられるかです。
クイズ番組でいえば、正解を聞く前に誰かの回答を聞いて『なるほどな。〇〇さんの回答が正解に違いない』と共演者やテレビの前の視聴者をうならせることができるかどうかです。
しかも、その解答は不正解なのです。
間違っている、間違っていないという枠にとらわれるとものごとはそれ以上拡がりません。
結論よりもどれだけプロセスに意味を見出せるかです。
どれだけ正しいからといって、相手の気持ちを無視してまでそれを振りかざすのは白けてしまいます。
正しさや正論ばかりを主張していると人が離れていくのは、つまらないからです。
人は誰でも楽しいこと、面白いことを求めているのです。
正しいことや正論というのは、誰が唱えても正しいのです。
そこに面白さがないどころか、もはや意味すらありません。
1+1は誰が何と言おうと2なのです。
しかし、そこで『こういう考え方や見方もできるんじゃないか。そうなるとこれは10といえるんじゃないか』となっていくから面白さが生まれるのです。
正しいことよりも、楽しいことに人は集まってきます。
正しさよりも楽しさを選べるようになることが社会で学ぶということです。
人生とは正しく生きるものではなく、楽しく生きるものだからです。