インターネットは、もう十分に世の中になじんでいます。
ただ、インターネット社会というと、どこかつかみどころのないイメージがまだあります。
近年、ネットが急速に身近なものになったとはいえ、リアル社会とはどこか一線を画した世界として考えられているのです。
しかし、インターネットほどリアルな社会はありません。
ネット上には、実社会よりも感情を引き出す装置が溢れているのです。
たとえば、匿名性という錯覚です。
実社会であれば絶対に口にしなかったようなことも、ネットでは気安く発信してしまいます。
非対面、匿名であることから、普段の日常では押さえられている感情を一気にさらけ出してしまうのです。
もちろん、ネット上だからといって完全に匿名が保証されるいうことはあり得ません。
むしろ、バレバレといってもいいくらい匿名性は薄れてきています。
何かやらかした即炎上します。
犯行予告をしたら即捕まります。
それでも、顔が見えないことも手伝って、感覚としてはなんでもアリという空気があります。
なぜか匿名のような気がしてしまうのです。
ネット上も含め、この世の中に100%匿名の世界は存在しません。
まず、ここに気づかないといけません。
冷静に考えればわかりそうなものですが、感情にスイッチが入るとやってしまうのです。
つい有名人の批判をしてしまいます。
つい友達の悪口をいってしまいます。
これだけネットが普及してくるとどうなるかと言えば、究極は更に村社会化します。
村社会というのはインターネットなど存在しない時代から続く日本の文化といっても過言ではありませんが、対極といえるインターネットが意外にもそれを進める手段となるのです。
歴史上、ここまで自分のプライベートが他者から覗かれる時代はありませんでした。
現在は、歴史上最もSNSが生活に根付いている時代です。
自分の日常をリアルタイムで報告するのが義務であるかのような錯覚に陥ってしまいます。
24時間誰かに監視されているような気がしてきます。
友達の休日の様子と比較して、なんだか焦りが出てきます。
半強制的に、10年以上前の人脈がぶら下がってきます。
何かやらかそうものなら一瞬にして拡まり、格好のネタにされます。
もちろん、ネットの普及には良い面もたくさんあります。
生活に欠かせないインフラであるというのはもはや大前提です。
近年顕著になっているのは、どんどん嘘がつけなくなってきているということです。
ネット社会が到来したことによって、情報の価値は限りなく0に近づきました。
その人のポジションなどに関係なく、誰でも平等に情報へアクセスできるようになったのです。
仕事でも、今までは同業者のみしか知りえなかったことが、一般のお客様にもあたりまえの知識として拡がりました。
歩く百科事典と重宝されていた人も、無価値になりました。
偽物は淘汰され、本物が残るという極めてシンプルな時代がやってきているのです。
村社会化し、嘘がつけなくなるというインターネット社会の性質は、これからも更に拡大していきます。
好き嫌いで自由に選択肢を選べる、極めて平等な時代が到来しているのです。