披露 | ko-to-ba

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人は発するコトバ通りの人生を歩む。

コンプレックスを披露してしまう人がいます。


人間は、自分の欠けている部分を話題にしたがります。


自分に自信のない人に限って連発してしまうのです。



面接で『長所はどんなところですか?』と訊かれます。


『協調性があるところです』

『リーダーシップがあります』


こういってしまいます。


相手は一発でわかります。


『なるほど。この人は協調性がないんだな』

『なるほど。この人はリーダー向きではないな』


長所は、自分では気づけないところに存在するのです。

なぜなら、自分にとっては当たり前すぎて意識すらしていないからです。


端から自分で意識できるくらいのものは、長所でもなんでもありません。

ただの願望です。


『私は変わっているので』という人で変わっている人はいないのと同じです。


本当に変わっている人は、誰に何といわれようと自分を全宇宙のスタンダードだと考えます。



女性で、やたらと惚気る人がいます。


『私の彼氏ってね、私の○○な部分がすっごく好きなんだって~。ほんと、私はそんなつもりないから勝手にいわせてるんだけどね~』

『私ってなぜか彼氏にすっごい頼られてるんだよねぇ~。私がいないとダメみたいなの~。こっちは守ってほしいのに~。ほんと、困っちゃうよ~』


真に相手から愛されていると確信している人は、いちいちそんなことをいいません。


『愛されてていいねぇ~』と周りに認めてもらうことによって、自分の欠けた部分を埋め合わせしようとします。

彼氏に愛してもらうべきところを、周りに認めてもらおうとします。


周りに認めてもらうことは、彼氏に愛されることではありません。


不安な気持ちを確かめるかのようにやってしまいます。

それも、相手にいやらしく伝わらないように言い回しをきっちり計算しているところが実にいやらしいのです。


相手からすると丸わかりです。


しかし、多くの人は指摘してくれません。

『へぇ~。うらやましい』で終わりです。


笑ってしまうどころか、それすら通り越して『満たされていないんだな。かわいそうだな』と本気で同情してしまうのです。


本人はそれで気持ちが満たされていくものだから、次々とやってしまいます。

どんどん他人の時間を奪っていきます。

もちろん時間を奪われたい人なんていないので、どんどん人が離れていきます。



周りに自慢をしなければいけないということは、不安や疑念を感じているということに他なりません。

人前でイチャイチャする男女は、まだたいして深い間柄ではないのです。

愛されていることを確信していれば、周りに自慢する必要などありません。


愛されているかどうかは、あなたが決めることです。

それを他人に求めたところでどうしようもないのです。

基準は他人ではありません。


いつだって、あなたなのです。



これは、冷静に考えればわかります。


しかし、他人のことだと見苦しいとよくわかるのに、自分のこととなるとつい棚にあげて見えなくなってしまうのが人間です。


『そんなことない』、『そんなつもりはない』とカチンときた人は、見事にその通りでそんなつもりであることを証明しています。


自分の内側に存在しないものに対して、人は反応しません。



時間を奪うことは、完全に犯罪です。

法廷に立たされないだけであって、立派な罪なのです。


法に触れない分、もっと性質が悪いのです。


惚気ることの是非について話しているのではありません。


奇跡的に授かった命の無駄使いだということです。

もっと上手に時間を使いましょうということです。


そんなことをしている暇があるなら、彼氏からの愛を確信できるように自分を磨いていくのです。


気持ちは、痛いほどわかります。


そこをぐっと堪えると、成長への準備が整いはじめるのです。



『確かに、そういう女ってたくさんいるよね』というのは簡単です。


何事も、自分事として当事者意識をどれだけ持つことができるかというところが分かれ目です。


『ヤバい。これって私のことだ』とドキッとしたあなたは見込みがあります。

いかに自分で気づいていけるかです。


現状を、愚直なまでに受け止めましょう。

満たされていない自分を、ありのまま受容するのです。


何ごとも、現実からしか出発はできません。


満たされていない自分を憐れんで凹む必要はありません。


発想の転換をしてみましょう。


幸運にも、まだあなたには成長できる部分があるということに他なりません。


欠けているということは、満たされたときにそのありがたみが何倍もわかるということです。


こんなにもあなたの先行きを照らしてくれる楽しみはありません。



現状に、感謝の念を持って出発することができるのです。