コトバの力 | ko-to-ba

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人は発するコトバ通りの人生を歩む。

人は、発するコトバの通りの人生を歩みます。



間違って手に取ってしまった1冊をきっかけに、私は1年間で700冊の本を読みました。


1年間に700冊読むということ自体は、大したことではありません。



この私が成し遂げたということが、驚異なのです。



学生時代の読書感想文は、いかにしてインチキをするかに全力を注いでいました。


毎回の図書課題も同様でした。


読まなければ執拗に注意を受けます。


多くの先生方の注意をひっくるめると、『本を読まないと底の浅いダメな人間になってしまいますよ』といったものでした。


どんどん本が嫌いになっていきました。


漢字は読めました。

単語の意味も分かりました。

漫画もギリギリ読めました(ただし、コミックは1冊3時間半程度の時間を要しました)。


しかし、活字の文章となると、意味が分からないのです。

まるっきり頭に入ってこないのです。


そのために読んだ箇所を何度も繰り返して読むのですが、全く進まないのです。


結果、表紙を閉じてふてくされます。


コンプレックスでした。

真剣にそういった病気なのではないかと疑いました。


『まぁ、本が読めなくてもなんとかやっていけるだろう』


そうして、やってきました。

実際に、普通に生きてはこられました。


当時の私からすれば、今の私なんて想像もつきません。

『どたなでしょうか?』といった感じです。


読書を始めてから、コトバに敏感になりました。


今までよりも、周りの声に耳を傾けるようになりました。


すると、驚くべき事実に気が付きました。



みなさん、自分で発するコトバ通りの人生を送っているではありませんか。


『人生なんて、こんなもんでしょ。そう上手くいく訳ないって。そんなに甘くないんだよ。俺も若い頃はさ、お前みたいに夢見てたよ』


冴えないセリフを吐く先輩は、確かに冴えない人生を送っているようでした。

どう贔屓目に見ても幸せそうには見えない表情を浮かべていました。


『大丈夫だよ。できるできる。俺だってできたからね。簡単だよ。お前にできない訳がない』


そんな先輩は目標をどんどん達成していき、目の前の階段をすいすいと駆け上がっていきました。

どのタイミングで会っても、いつも幸せに満ち溢れた表情をしていました。


笑っている場合ではありませんでした。


人生で大切なのは、いつだって自分事です。


それから、私は普段から自分が発するコトバの一つ一つを丁寧に拾い上げていきました。


驚きました。


自分を苦しめるような、貶めるような言葉を連発していたのです。


自分から穴にはまっておきながら、『どうやったらこの穴から脱出できるのだろう?』と真剣に考えていたのです。

笑い事ではありません。


徹底的にコトバのチョイスを考えました。


しかし、長い間の習慣というものは恐ろしく、すぐに上手くいくものではありません。


狂ったように本を読み続け、コトバについて考える日々を過ごしていきました。


すると、徐々に変化が訪れました。


周りが、変わっていったのです。


まず、人脈が変わりました。


今まで近くにいた多くの人が、私の元を去っていきました。


そして、何人かの人が残りました。


次に、新しく私の元を訪れる人がいました。


そして、そうやって変化をした人脈の中、優しいコトバをかけていただける機会が多くなりました。


また、自分自身、そういった方々を含め、身近な人への接し方が変わっていきました。



腐りかけていた私に、光が差しました。


気づくと、毎日が楽しくなっていました。



最後に人を救うのはコトバの力です。


土壇場では、どれだけ力になる言葉を知っているかで決まります。



コトバに助けられた私は、これからコトバで恩返しをさせていただきます。