膵臓がんと関係ない話題です。


私はド田舎生まれ。

小学校は4キロの道のりを1時間近く歩いて

登校。

一学年一クラス、27人の生徒しかいない。


中学校は、少しだけ街中で3クラスとなった。


そこで担任のピカ先生に出会う。

頭がピカ🌟ではなく、名前が光だからだ。


中学に入り

知らない子に囲まれて、私はどう行動して良いかわからなくなった。


その為か、入学式の後よりお腹の調子が悪くなり

食事が食べれなくなり、近くの病院に行っても

原因がわからず

整腸剤出されて様子見ると言う状態だった。


梅干しは食べれるだろうと母が

小さな日の丸弁当を用意してくれて、梅干しの汁が付いているご飯を少しだけ食べると言う毎日だった。


5月になりクラス遠足があった。

天気も良く、小学校からの友達と走ったり、

大笑いしたりしてたら、何故か母のお弁当が

全部食べれた。


担任のピカ先生が、それを見て、なんやゲンキンやな。

今日から調子良くなったな。と言った。

それを聞いて、私はなんか腹が立った‼️

そんな事ない。たまたま調子が良かったんだと。


でも不思議とその日よりご飯が食べれるようになった。


ピカ先生は、がたいが良くて体育会系で、

1人いじめられてるような事があれば、

見ている皆んなも悪いと全体説教する先生。

だけど顧問は音楽。


中々、自己表現しにくい私の事も気にかけてくれて、

野良犬や野良猫の観察と言った作文書けば、

面白い!こう言った事を沢山書いて

皆んなに伝えたら良いと言って弁論部に勝手に推薦した。


次は歌が上手い!

と言っては市のコンクールに推薦してくれて

大勢の前でソロで課題曲を歌った。


音楽のテストでは、翼をくださいの弾き語りや

シューベルトの魔王を歌った。


そう言った事を積み重ねるうちに、

自分に自信が持てるようになってきた。


ピカ先生は、それぞれの個性を伸ばしてくれて

皆んなの人気者だ。


卒業する時、10年後の私と言う手紙を書いて

クラスみんなで先生に預けた。


高校卒業し、

私は看護師を目指し一人暮らししながら

通学する事になった。


3年生になり大学病院での初めての実習は外科だった。

そして、最初の実習担当の患者さんは

なんと‼️ピカ先生だった。

ピカ先生は胃がんで、手術を控えていた。

私の顔見て満面の笑みで、おー‼️

看護師目指してるって聞いてたけど、頑張ってるなぁ。

〇〇が担当の学生で良かったって。


実は手術前後のピカ先生との関わりは必死過ぎて

あまり覚えてない。


中学校卒業後、10年経ち同窓会があった。


ピカ先生登場🌟

私の顔見て看護師になれたか?

〇〇なら、大丈夫だ。

実習の時俺は鼻が高かったぞって言った。


同窓会、宴もたけなわ

先生から実は去年家が火事になってなぁ。

1番先に家から抱えて飛び出したのは、卒業の時に皆んなが書いた10年後の手紙。

これだけは守りたかった。


そして、一人一人に卒業式の様に手紙を渡してくれた。


数年後、風の便りで先生が亡くなられたと聞いた。


実は昨日、友達に高校の時の同窓会に行くって話したら、学生時代ってどうだったって盛り上がった。

肝心な話題の高校の時の想い出より鮮明に思い出されたのは中学の時の事だった。


だからここに書いてみたくなった。

膵臓がんと関わりのない話だけど。


🌟ピカ先生ありがとうございます。

金八先生以上のピカ先生。

先生の願いや想いは卒業生、みんなに届いてます。

そして、膵臓癌なんかに心まで奪われずに

生き抜きます。