オットがレンターカーをとりに行ったのを待っています。尾道水道を背景にと写したものの逆光で良く撮れていませんが、ホテル前は向島行渡船のり場です。
千光寺は駐車場から急な坂道を転ばないよう気を付けて歩いたのでしんどかった。
旅行用に大島を買っちぁいました、とアップしておりましたが😅、最近の旅行に着ている着物が格子っぽいのが続いたので。
着ることにしたのは麻の葉柄の結城です。秋、菊模様にも見えますでしょ❗
大宝山権現院千光寺は標高140m、尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、(大同元年・806年)弘法大師の開基で中興は多田満仲公と伝えられています。
珍しい舞台造りの本堂(貞享3年・1686年)は別名「赤堂」とも呼ばれ、林芙美子も放浪記の中で「赤い千光寺の塔が見える」と書いている。―HPより抜粋―
 
本堂の後ろの、くさり山には怖くて行けない。
尾道水道の流れを再び千光寺から眺めることで満足です💕。二重岩と写る。
信濃川より幅が狭くとも海🌊
夫も39年ぶりの景色に感無量のようね。
尾道水道を背景に写りたかったんだけど、太陽が海から昇り時間的に逆光になるんで、千光寺らしいやっとの1枚、鐘楼で。後ろに微かに尾道水道も撮れている。
御朱印いただきました。
令和6年秋の限定、宝来御朱印は千手観音(普陀山請来)

宝来(ほうらい)とは弘法大師さまが唐で習得した縁起物の「切り絵」。 藁のない高野山でしめ縄の代わりに飾るようになったと伝わっています。

レンタ-カーのナビが使いにくい、おばかちゃんで道に迷う、借りた車はスマホの電源を取ることが不可能でスマホの電池がなくなるのでGoogleマップを使うのは諦めたし、土曜日で鞆の浦への道も混むだろう。そして鞆の浦の散策には駐車場が余りないはず。新婚旅行で行き、細い道の古い町並みを覚えている。とても⤴️⤴️風情があり、沈没した龍馬の船も引き上げられ、是非とも見たかったんだけどね。これから向かえば駐車場を探すのに困りそうで、鞆の浦は断念しました。
 
高速道路となる瀬戸内しまなみ海道に乗ってしまえば道路はスイスイ走れるし、いっそ四国の今治まで行くことに予定を変更した。
 
四国今治でうどんの昼御飯。
私は初めての店だったがチェーン店だそうです。新潟にはあまりないが旦那は東京で食べていると。
でも、おいしかったです。
 
そしてね、今治城の標識を見つけたので、お城へ。
四国の今治城の土橋にて。
後ろ姿
あずかけなく、藤堂高虎のお城を見ることが叶いました。
 
今治城とは築城の名手がつくった日本屈指の海城。
今治城は、関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、江戸時代初期に瀬戸内海に面した海岸に築いた平城、別名吹揚城(ふきあげじょう)ともいいます。
瀬戸内海に面した海岸にあり、かつては三重の堀に囲まれた広大な平城でした。四角形のシンプルな形をしており、戦い重視の険しい城から脱却した先進的な構造になっていました。城内には海につながる船入(港)が設けられましたが、その船入は現在の今治港に継承され、海事都市今治のルーツの一つになっています。
現在でも城の中心部の石垣と広大な内堀がほぼ完全な形で残っています。
 
お城は再建したものなんだけど、ワタクシ高虎さんのお城ってことでヒートアップしていた。
↑WEBから見つけました。航空写真は国土地理院の地理院地図だそうです。
 
鉄御門
お城に隣接の吹揚神社の御朱印をいただきました。
綺麗なグリーンが眼を惹くお婆ちゃまが素敵で一緒に撮らせていただいた。
ジャケットを着た方が91才だって‼️
もう1人の方が70代後半とのことでお友達同士。
ランチをしてから散策していたそうです。