15年続けていたブログが3年前に閉鎖となり、Googleフォトから旅の記録の写真をアメブロでバックアップです。
唐突な旅のアップですがお許し下さいませね🙏
関川村をを過ぎた7時ごろ、姉が言った。
「2時間くらいかかるの?」
わたし「どこまで?」と、思う。「仙台までよ」と姉。仙台の場所については、あんまり興味ない、こういう天然も持ち合わせている姉 😁
6時に家を出て仙台城址と同じ場所にある「宮城縣護國神社」に着いたのは11時。
もうすぐ66才のワタシ、可愛いいじゃぁないか💮
お参りして、伊達政宗騎馬像帰還の記念御朱印をいただく。
伊達正宗の像の前では、ボランティアガイドの方が本人のスマホで撮ってくれます。
ガイドの方が、ご夫婦か恋人らしき男女と、その親御さん?とおぼしき家族連れを撮っていた。
若い男性は無表情だったので「お兄さん、ニコッとして!」「いい笑顔よ」とつい口を出す私。
そしたらボランテイアガイドのおじいちゃまが「ほら一緒に写りなさいよ」と私に言う。
ワタシ「あっ他人です」テヘヘですわ。
でもお兄さん、ニコッとして良い写真になりました(o^―^o)
仙台到着時間が見えないため、お昼ご飯の場所は予定できなかったし、ホテルの直ぐそばは飲食店があまりないので、探すのも面倒で腹もすいた。夫も早く飲みたいだろうと、城址公園からはホテルへ直行。そのままホテル内の中華レストランで昼食としました。
いつものように夫とはランチ後に解散。
女2人で仙台の街をぶらぶら。メイン道路を通行止めにしてイベントを開催していた。サイドカーの付いたでっかいバイクが沢山停まってて、バイク野郎のおっちゃんたちが格好いい。
時折サービスにエンジン音をブオォオンと弾かせてくれました。
これは「アメリカ本田」のバイク。前タイヤの太さ、私のでぶっちょ腹と遜色ない。
夜は着物で仙台居酒屋探訪、2軒め。
この店は蛇口から焼酎が出てくる。
ホテルに戻ってロビーで撮りました。ロビーには美術品が立ち並ぶ。
翌朝は、仙台市街から車で30分の「ゆりあげ港の朝市」へ。6時からの朝市、着いたのが6時10分。なのに広~い駐車場が既に満車で、やっと停めるスペースを見つけら、目の前にものすごい長蛇の列が出来ていてビックラたまげた❕
「何に並んでるのですか?」と並んでいる人に直接聞くワタクシ。
「今日は秋刀魚祭りで先着2,000人に秋刀魚が無料でもらえる」んですって。その、整理券をもらうのに並んでいると言うんだ。
「今日は秋刀魚祭りで先着2,000人に秋刀魚が無料でもらえる」んですって。その、整理券をもらうのに並んでいると言うんだ。
7時前には2000人の整理券は完了になった。今日は3時から並んでいたという人もいるらしい。
ホテルは素泊まりにして朝ごはんを、ここでと予定。
食事ができる店は既に一杯並んでいたが、並ぶしかない。で、買ったのは、カニ汁3人分、蛸ご飯2人分、ほや好きのオット用に、ほやご飯1人分。
ホテルは素泊まりにして朝ごはんを、ここでと予定。
食事ができる店は既に一杯並んでいたが、並ぶしかない。で、買ったのは、カニ汁3人分、蛸ご飯2人分、ほや好きのオット用に、ほやご飯1人分。

カニ汁は美味しいけど他所でも食べれる。蛸ご飯が、うんめがったんだ。
いつも朝飯を食べない彼だから、前日こったま飲んでるしで、やっぱり飯は食べない。
そして座るスペースを使わせてもらった店のアサリ汁も食す。
これが、すんげぇ、うんめぇ~。プリプリの身、薄味で、汁もしょっぱくないしアサリの出汁がしっかり出てたアサリ汁は350円。いつも朝飯を食べないが、カニ汁は飲むオット、そしてアサリ汁は、うまいと超✨喜んだ。
腹を満たして向かうは「国宝 大崎八幡宮」
腹を満たして向かうは「国宝 大崎八幡宮」
参拝している方が大勢だったので横から撮った。意匠が凝らされ厳かで美しい。
↓HPより抜粋
仙台総鎮守として藩祖伊達政宗公はじめ歴代仙台藩侯はもとより、仙台城下の人々に至るまで厄除け・除災招福や必勝・安産の神として篤く尊崇されてまいりました。又、仙台における「卦体神」という十二支の神を信仰する習俗においては乾(戌亥)の守護神とされ、戌歳・亥歳生まれの人々からは格別の崇敬を受けております。
大崎八幡宮の御社殿は、仙台藩祖・伊達政宗公の命により慶長九年より十二年にかけ、豊臣家召抱えの梅村日向守家次・梅村三十郎頼次・刑部左衛門国次・鍛冶雅楽助吉家といった当世随一の巨匠を招き造営されました。
その様式は入母屋造りの本殿と拝殿とを相の間で繋いだ石の間造りであり、後に権現造りと言われる建築様式は、外観は長押上に鮮やかな胡粉極彩色の組物(斗きょう)や彫刻物を施し、下は総黒漆塗りと落ち着いた風格を現し、拝殿正面には大きな千鳥破風、向拝には軒唐破風を付け、屋根は柿葺と意匠が凝らされております。
拝殿内部には狩野派の絵師佐久間左京の筆に成る唐獅子の障壁画や大虹梁の青龍、石の間の格天井には五十三種の草花が描かれており、俗に左甚五郎の作と伝わる花鳥動植物や説話風の人物など多彩な彫刻が組み込まれ、全体的に美しい調和をなし、安土桃山時代の文化を今に伝える我国最古の建造物であり、その貴重さから明治三十六年特別保護建造物に、また昭和二十七年には国宝に指定されました。











