今シーズの袷を今日で着納めにするつもりでした。数日前の30度という夏なみの気候からの季節の流れで行けば、袷の気分でないわね。
ということで、米沢地方の「置賜紬」の単衣を選択。
仕事でお世話になった方は本日は赤い着物、素敵で似合っている😁この赤、ホントに良い色なの。
そして友人の帯も赤い‼️、しかも薔薇🌹。あ~ぁ、私も赤が着たい年頃になったわ。
しかも、羽織も青い薔薇柄。
レストラン「金剛閣」で焼肉ランチです。
お腹がくちくなったら、上杉神社の散策。
 
「上杉鷹山」山形県米沢市 1751年(宝暦6年)~1822年(文政5年)
江戸時代、米沢上杉藩は戦の処分などで幕府から領土を減らされ、藩の財政は厳しく村人の生活も大変困っていました。上杉鷹山は17才で藩主となり、この厳しい藩の財政を立て直し、人々が豊かになるための色んな事業に取り組む。領土を増やして財政を豊かにするために、新しく田んぼを作ったり、そこに水を引くための水路やため池をたくさん作りました。 しかし、晴れの日が続くと水不足でお米がまったく出来ないことがしばしばあり、鷹山は心を痛め、貧しく困っている村人を救うことが出来ないものかと考え、その時の奉行・黒井半四郎忠寄に調査を命令して、用水事業にとりかかりました。
藩と村人が一体となった一大土木事業として“黒井堰”と“穴堰”という水路を作り、米沢盆地北部の水不足を解消して現在の農業の基礎を作った。他にも新しい産業を起こしたり、教育にも取り組み、72才で亡くなる頃は、藩の借金をほとんど返し、農村の復興をはたしました。アメリカの35代大統領のケネディが最も尊敬する日本人として上杉鷹山の名前をあげたエピソードは有名です。

上杉鷹山が残した言葉
『なせばなる、なさねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり』
上杉鷹山公の偉業には頭が下がります。
 
上杉神社を参拝。
この帯、絞めやすいし、崩れにくいと思う。
リユースで手に入れた、証紙付き紅花染め置賜オイタマ紬。仕付け糸が付いたままでした。

昨年の4月は別の帯でコーデ。
みなさん、それぞれの個性で着物を楽しんでいますよ。
米沢は、まだ桜が見頃でした。
花びらが足元にも。
神社の前で撮った仲良し2人の後ろ姿も。
飼い主さんには甘えるのに、私たちにはツンデレ。犬種を聞いたものの、覚えられない (*≧ω≦)。
姉は愛猫にとっても似ているという図案を手書きで染めてもらった帯、猫の気配を感じた?
米沢織のバックなどのお店の方が「お撮りしますよ」と声をかけてくれた。
3人違って、3人素敵でしょ🎵