唐突な旅行記です💦💦
15年続けていたブログが閉鎖となり、旅の記録を写真のバックアップを兼ねて100年日記で書いているけど、アップの写真サイズが小さく画質が荒い。やはりキレイな写真で残したい。それでアメーバブログに旅行記録も移し始めたんです。
唐突な旅のアップをお許し下さい🙏

家を出たのが5:45、敦賀到着12:00。
初めて来たけど、来春新幹線開通で駅前がおしゃれにきれいになっていた。ホテルが駅前なので近くの居酒屋兼食堂「地魚料理まるさん屋」で昼食を。

今年の初秋刀魚980円なり、たっけぇ❕手前は鯛のカルパッチョ、奥が「へしこ」


夫も、新潟の店で食べる福井直送と言ってた「へしこ」とは別ものだと、本当に旨いと言うので、私はこわごわ、生まれて初めての  へしこを食べた。
しょっぱいけど、ここのは柔らかいしすごく旨い。
1階のお土産屋で「へしこ」を買おうかと思ったが、種類がすごく沢山あって、2階で食べたのと同じのがどれなのか分からない。冷蔵、冷凍だったから買うのはやめました。


14:20  雨も降っているのでタクシーで金崎神宮へ。
山の上にある「金ヶ崎城」は元亀元年(1570年)信長・秀吉・家康・利家勢揃いの地。


旅行に行く前日から、急に寒くなると、急遽、仕事帰りにユニクロに行きで定価で買ったニットコート。今朝は11月中旬なみの寒さだったし、これはロングカーディガンぽい、着たら軽いし暖かい。ニットだから収縮があって旅にバーカ良かった。




周遊バスで市街地にもどり、「気比神宮」へ。


延元元年(1336年)5月、九州で再挙した足利尊氏が京都に攻め寄せると、後醍醐天皇はこれを比叡山に避けられた が、同年10月に至って一旦尊氏の請を容れられ、京都に還幸されることになり、その際天皇は別に新田義貞(にったよしさだ)に命じ、尊良親王・恒良親王を 奉じて北陸道の鎮撫、官軍再興のために下向せしめられた。

新田義貞一行は雪中の木の芽峠を越えて敦賀(つるが)に着き、氣比神宮(けひじんぐう)の大宮司氣比氏 治に迎えられその居城、金ヶ崎城に入った。一方足利尊氏は高師泰(こうのもろやす)を総大将として兵六万余もって陸海より金ヶ崎城を攻撃、延元2年正月、 杣山城(そまやまじょう)の瓜生保、里見時成等兵五千余も金ヶ崎の急を救わんとしたが、迎撃に遭い、保、時成等戦死、3月6日遂に落城、尊良親王は新田義 顕(新田義貞嫡子)以下将士三百余人と共に亡くなられた。尊良親王御年27歳、義顕18歳であったと伝えられる。

恒良親王は、氣比氏治が子息斎晴によって脱出されたが、後に捕らえられて京都に幽閉され、延元3年4月13日毒薬を盛られて亡くなられた。御年15歳であったという。


10月8日(土) 06:40
駅前の999の銅像で記念写真。


『銀河鉄道999』は、松本零士作のSF漫画、およびそれを原作としたテレビアニメ番組、アニメ映画である。略称は「999」。