不変と信じたものが変化しても | mimosa2021のブログ

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日本に住んでいます。趣味は読書、写真、植物に触れることです。ゆるっと気ままに暮らしの記録。ブログで文章の練習をしています。よろしくお願いします。

つたなくて気まぐれなブログですが、ご訪問ありがとうございますおねがい

先日から、部屋の片付けのために
本やDVDを処分・またはオンライン買取に出し始めました。

それでもずっと捨てられない本があります。
音楽や映像も。

ずっと捨てられないそれらを、時々読み返(聴いたり観たり)しては
やっぱり好き、捨てられない。と、ときめきを抱きしめます。

太宰治とか、なんで?こんなにずっと好きなん…

逆に、読み返しても、もう何も入ってこないもの、
あんなに好きだったのに上の空になる、
セリフが気になって、これは今はアウトやし不快やな…とか思ってしまうものからは
(仁侠ものや、特に女性を卑下するような表現など)
離れよう、と決めます

変わったのだ、(よい風に)と感じます

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大切にしている作者・作品たちを久しぶりに読んだり聴いたり見たりして、自分が変わってしまった・良い意味でも、悪い意味でも、と感じることがあります

大人になったといえば聞こえがよいかも
退屈なわたくしたち


本に関して
亡くなった作者も含めて作品、作者ともに
ずっと好きでい続けている自分、好きでいさせてくれる彼方、ずっと愛される彼ら
くせがあっても、離れられない

って凄い。壮絶。本に書いてあることは変わることがないのに、わたしがどんなに変わっても、好きな気持ちが変わらないのは何故?


心が、魂がこもっているから?


…深入りしない程度に考えてみる


読み手が変化しても、そばに居たい
一冊の本のように生きたい
そのためには、言葉遣いを大切にしないとだなあ
そうなると不躾なわたくしはもう喋れないな…

でも、まあ、、、素直に生きればいいのだらう。

mimosa