義実家には至る所に写真が飾ってある。
義母が一人の寂しさを紛らわすように、賑やかだった頃の写真を飾った。
それは夫婦旅行のものから、二人の孫が幼かった頃の写真だったり家族の歴史のようだ。
ガラス戸の中に義母の知人が写真立てに入れた、義妹のウェディングドレス姿の写真がある。
階段でトレスの裾を流した、細いウェストと真っ赤な薔薇のブーケを手にした義妹がすました顔して写っている。
私には選ぶ事が出来なかったドレス姿に、いつも思わずそっと目を逸らしてしまう。
私の打掛けは義母が選び、ドレスは母が選んで、私の結婚式なのに何も選ばせてくれなかったのだ。
私の友人たちは趣向を凝らし、自分を一番輝かせてくれるドレスに身を包んで結婚式を挙げて行ったが、私は式場から返礼品まで母親たちが我を張り合った。
さらに来賓の数で揉め料理で揉め、私が選べたのは綿帽子と簪だけ。
初めての子供の式に舞い上がった母親たちに、私の夢は塵に消えて行った。
翌年、義妹との結婚が決まると、義弟たちは日時や場所などの相談は一切しなかったそうだ。
義妹は自分の両親の意向は汲み、義両親たちの言葉には耳を貸さなかったと義母が怒る。
なので義母は義妹の結婚式のアルバムは開けた事が無いと言っていたが、私も複雑な気持ちから見ようとは思わずに仕舞い込んだまま。
東京の夜景が有名なホテルで、イタリアから取り寄せたというドレス姿の義妹に、私はネガティブな感情を持ち一度見たきり。
私は式場に併設された貸衣装部屋に置かれた、一昔前のデザインの白無垢やドレス。
目立たないが染みや焼けがある、着古されたものだった。
昭和の匂いがして来そうな時代遅れの結婚式と、ハイセンスにまとめられた義妹の結婚式の差を見たくなかったのだ。
義実家の義妹の写真を見ながら、「義妹さんって美人さんだったのね。」と私が皮肉っぽく呟いた。
「自分だけしか見て無い、つまらない顔よ。」と義母は憎々しげに応えた。
近頃、義母に私の義妹への思いを打ち明けてから、そこだけは意気投合したのだ。
私の婚礼写真は、義妹がまだ居ない義家族の真ん中にいて、全員が爆笑している写真だった。
ツンとすましている義妹の写真と、笑いを堪えている私の写真。
今の義実家の立ち位置と重なって見えた。
今年、私たち夫婦は結婚30年を迎える。
この歳になって振り返って見ると、あの時呼べなかった友人は、すっかり会わなり、年賀状すら途絶えた人もいる。
あの時、外さなかった友人は、今でも連絡を取り合っているのを思うと、チョイスに間違いは無かったみたいだ。
親族だらけの結婚式に当時は不満しか無かったけれど、今見ると懐かしい。
結婚式はずっと自分の為のものだと思っていたが、私を育てた人たちに感謝する場所でもあったようだ。
またいつかこの写真を見る時、私は何を思うのか楽しみだ。