義実家で夏ミカンの大枝を切り落とし、天袋から荷物を下ろしたりと体力を使い切って帰ったのに、目が冴えて眠れなかった。


義母があの家で独りで暮らす寂しさを吐露したからだ。


写真を整理しながら、家族5人分が揃い賑やかだった頃に思いを馳せ義母は涙汲んだ。


私も実家に行くと、時々賑やかだった時代がフラッシュバックして、胸がギュッと掴まれる。


義母も私の父も誰も居なくなった自宅で、独りで生きる切なさを感じているのだと思うと眠れなかった。


大きな紙袋に入った写真を整理していると、私たち夫婦と義弟夫婦の婚礼写真が出て来た。


私たち夫婦の婚礼写真は何度も見たと言うが、義弟夫婦の写真は貰った記憶すら義母に残っていないと言った。


他のアルバムに義弟の元カノの写真が紛れ込んでいて、義母が懐かしそうに眺めていた。


「本当は、この子と結婚して欲しかったのよ。」と言って、昔話を始めた。


義弟の元カノが義弟の所業を他の男性に相談しているうちに、その人の子を妊娠して別れてしまったと言う。


言われて見れば、義弟が主人に愚痴りに来た事があった気がする。


そもそもが義弟の普段の行ないが招いた事で、同情する気にはなれなかったが。


その後、紆余曲折あって、義妹に押し切られ義弟は結婚した。



山林の売買契約の日。


義妹が来なかったのを何の疑問を持たなかったが、その写真の元カノが一波乱を起こしていた。


義弟の元カノのご主人ががんになり、義弟に泣きの電話を掛けていたのだ。


その電話を取った義妹は以前、「モテる位の甲斐性があった方が良い。」と強気の発言をしていたが、元カノからの電話にはブチ切れたらしい。


元カノとは元々、幼馴染みだったそうで、今でも同級生で集まって飲みに行く仲間で、男女の仲で無くなってからも関係は良好だった。


連れ添った相手が死の淵にいて、なかなか気丈で居られる人は居ないと思う。


全てを知っている義弟に聞いて欲しかったと、私は何となく想像が出来た。


義母がボソリと、こんな事を言った。


「義妹ちゃんは、お父さん(義父)の臨終に、化粧が間に合わないからって来てくれなかった子よ。あの子には、人の気持ちが分からないのよ。」


義父の臨終の日。


早朝に病院から電話が入り、義妹以外は顔も洗う間もなく病院に向かった。


当然、私も化粧どころか洗顔も出来ずに車に飛び乗った。


義母は知らないと思って、義父の臨終の日の義妹が来なかった理由を隠して来たが、義母は知っていたのだ。


私はこれまで波風を立ててはいけないと、義妹の奇行を黙って来たが、もう隠す必要が無くなってしまった。


「お義母さんが危篤になった時も彼女は、『ねえぇ。カフェ行こう︎💕』って場の空気を凍らせたんです。あの時、私は彼女をサイコパスだと確信しました。自分の連れの親の生命の瀬戸際に、カフェに誘う気が知れないと思いました。」


これを言ったら、私は自分で自分の首を絞めるだけだと分かっていたけれど、縁があって家族になった人だからと綺麗事を言えなくなってしまったのだ。


「義妹ちゃんなら平気で言うわね。義妹ちゃんは、自分の事しか愛せない人。○○ちゃん(義弟)を好きだと言っても、そう言ってる自分が好きなのよ。人の命なんて興味が無いの。あの子は自分が幸せなら、他人なんて気にもならない。私の子供は三人の息子たちとあなたよ。」


私は義妹と平等に扱われるのが嫌でずっと足掻いて来たが、義妹にこれで何もしないで良い免罪符を与えてしまった。


何かの縁で義理の姉妹になった人だからと、仲良くしなければならないと自分を縛り付けていたのは私の方。


生き方そのものが真逆の彼女と、相性が合う訳が無かった。