最近よく考えている事。
先日、ママ友の祐子さんが53歳で逝ってしまった。
十日前に祐子さんのお母さんに会って、それから考え込んでしまうようになった。
祐子さんとご主人は助かる可能性があるならばと、手術や抗がん剤を片っ端に取り入れたそうだ。
母親としては苦しむ娘を見たくなくて、一切の治療を受けず穏やかに旅立って欲しかったと言った。
私も祐子さんと同じ様に助かる可能性があるのなら、何でもやってみるつもりでいる。
「祐子さんは、まだ寿命には早かったから可能性に縋ったんだと思います。」
今の私の嘘偽りの無い本音だ。
すると祐子さんのお母さんは、苦しい胸の内を私にぶつけた。
「あなたは、元気で良いわね。うちの娘はたった三ヶ月で逝ってしまったわ。何で?うちの娘は何で助からなかったの?」
乳がんと膵臓がんでは、五年生存率が全然違う。
乳がんは自分で見付ける事が出来るが、膵臓がんは見付かった時には重症化している、発見がしにくいがんだ。
娘さんを亡くしたばかりの人に、何を言っても慰めにもならず、何を言っても傷付けてしまうだけ。
「お母さんがずっと泣いてたら祐子さんも心配するから、ちゃんと食べて元気出して下さいね。」
当たり障りの無い、口先だけの慰めしか言えなかった。
「あれきりね、婿さんが電話にも出てくれないのよ。あんなに孫も可愛がったのに、薄情なものよね。」
「今、やらなきゃいけない事だらけで、忙しいんだと思います。」
祐子さんの治療を巡り意見が食い違ったと他から聞いていたが、部外者の私からは何も言えない。
「婿さんなんて言っても、祐子が居なきゃ他人なのよね。」
「うちの人も私が居なければ、実家とは関わらなくなると思いますよ。」
うちの主人は、今だって両親と関わら無い。
私にもしもの事があった時に、手続きがしやすいように印鑑証明カードや年金手帳と一緒に、婚姻関係終了証明を入れてある。
母は気掛かりな姉の為なら、主人でも頼ろうとするので、私の没後は無関係を主張出来るように、役所に提出するように用意したのだ。
孫を可愛がったと言っても、それが婿さんにとって嬉しい出来事では無かったかも知れないし、無治療を勧める声が邪魔だったかも知れない。
祐子さんのお母さんの一方的な意見に、違和感を感じた。
がん治療の事、義親との関わり方。
家庭に依って考え方は千差万別だ。
祐子さんのお母さんに会って、これからの治療の意思や延命の有無も、自筆で残しておこうと決めた。