今年の大河ドラマ『龍馬伝』。
これのおかげで、我が郷里、高知県は潤っております!
バブルです!!
どこかの経済アナリストの試算では、経済効果400億円オーバーとも!!
ゴールデンウィークの高知市内の混みっぷりは半端じゃなかった。

自分も郷里のヒーロー、坂本龍馬が大好きです。
でも幕末のスター龍馬といえども、その具体的な功績を知らない人も少なくないと思います。
このドラマを機会に、龍馬の功績が再認識されるといいなぁ。

・・・と思って放送を見ていたら、龍馬伝のストーリーは史実と異なる部分が目立つ目立つww
まぁ、この辺の話はまたの機会に。


自分の実家、梼原町は、龍馬脱藩の道、土佐藩最後の関所があった場所として有名です。
当時の土佐脱藩志士は、多くの志士が梼原から脱藩しています。
なぜ当時の脱藩志士たちは、この梼原から脱藩する者が多かったのか。
ザル関所だったから?いや、違うんです!
梼原に、脱藩志士たちの志を理解する素地があったからなんです!!
龍馬伝の中で記されなかった、脱藩道としての梼原町について、少しお話を・・・。


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幕末は文久2年(1862年)、尊皇攘夷を実現すべく、龍馬達に先駆け、最初に梼原から土佐を脱藩したのが、吉村虎太郎。
この吉村は、梼原の庄屋職をしていました。当時の土佐の庄屋は、天保庄屋同盟の中で、天皇に直属し、人民の身を預かる立場であると位置づけられていました。
農民が武士に弾圧されそうなとき、農民が庄屋を頼ってくれば、決して引き渡しには応じず、農民を守るという約束が土佐庄屋にはあったのだそうです。これは当時としては画期的な、自由平等に通ずる思想でした。吉村は庄屋としてよく働き、村民からの信頼も厚かったようです。
吉村虎太郎は、武市半平太の掲げる挙藩勤王を待たず(待てず)、自らの方法で尊皇攘夷を実現しようと考えます。土佐勤王党を抜け、藩をも抜け出す一大決心をしたのは、庄屋職で培った自由平等の精神が後押ししたのだと思えてなりません。
吉村と気脈の通じた梼原の関所番人は、吉村の思想を理解し、脱藩を黙認。吉村の後に続く、龍馬をはじめとする志士たちにも理解を示し、脱藩を見て見ぬふりした、と言われます。
梼原の、当時としては画期的な自由平等に通ずる風土が、維新の志士たちの背中を押し、明治維新への道を開いた。
そう思うと、自分の故郷が誇らしく思えてくるのです。

(まぁ、ドラマの方では脱藩の詳細は見事に省かれてたけど・・・www)


追伸:第13回放送:龍馬伝紀行の中で、梼原の茶道が紹介されました!
 ↓↓↓
お茶道当番表
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この茶道は、実家から徒歩5分の場所。こんな所にいつの間にか、NHKが取材に来ていたとは驚いたー。