今日、初めて伯母に、仕送りというものをしました。
現金書留で。
現金書留にするのにはちょっとした理由がある。
ただ振り込むだけだと、お金だけのやり取りになってしまう気がして。
封筒に、一筆箋に書いた短い手紙と現金を入れて送る。
この方法のほうが、お互いの気持ちもつながるような気がする。
伯母とこの間電話をしたとき、
新橋の伯母さんがすごく元気になっていたことに驚いていて、
「あと10年くらいは生きるんじゃないかと思って」
と言っていたけれど、
長生きできるなら、してほしいし、
その間は、笑顔でいて欲しい。
自分が何らかの形でかかわることで、伯母の負担を減らして、
伯母が笑顔になること。
そして、新橋の伯母さんが笑顔になること。
大切ないのちがそうしてつながること。
月にたった1通の現金書留がそれをつないでいるんだなと、
送ることでも実感するんだなあって思った。
10年くらいしたら、今度は新橋の伯母さんを見送るという、
大切なことが待っているのかもしれない。
そのとき、自分はどんな風になっているかなと、ふと思う。
今の仕事、ちゃんと続けているだろうし、
それが想像できる自分がいる。
*********
私の仕事は、食べ物に関わる仕事で、
それも言ってみれば「いのちをつなぐもの」なのだけれど、
生業として今の仕事をするようになって、
仕事が忙しくなるにつれて思うのは、
新しいものを生み出そうとするために、
自分自身が楽しんで料理をする機会が減っていること。
試行錯誤しながら料理をすることは、
それはそれで楽しいのだけれど、
試作と試食、レシピの作成を繰り返す日々は、
いわゆる「豊かな食卓」というところからは離れたところにある。
けれどもそれは、それを生業として選んだ者の、
宿命のようなものなんだなと最近思うようになった。
ある意味で、ライフスタイルや生活そのものを、
切り売りしていくことで生きている自分にとっては、
生活であったり、生きていくことすべてが仕事につながるわけで。
その中で気分を切り替えていくのは意外と大変なのだと、
最近ようやく気がついたと言うか。
そうして自分が生み出したもので、
たくさんの人が豊かな食卓を囲んでくれたら、
こんなに幸せなことはないんだなとも思う。
いろんなことがあるけれど、
自分の気持ちや想いに正直に、
どんなことがあっても私は私でいられるようでありたい。
さまざまな「いのちをつなぐもの」と関わりあいながら、
自分がそのつなぎ目みたいなものになっていけたなら。
今思ったけれど、食の仕事を選んだ頃から、
根底にあるそうした想いは変わっていないことに気づく。
「つなぐ仕事」がしたいということ。
ある人が言ってくれた。
「そうやって考えている限り、
必ずあなたを必要としてくれる人が出てくるよ。
必ず必要としてもらえる。」
そういって、茶道の先生だったその人は、
当時ソムリエを目指していた私に、
葡萄唐草の袱紗をくださった。
それはいまでも大切な宝物の一つ。
初心を忘れずに、いつもいたいなとふと思った。