今日、初めて伯母に、仕送りというものをしました。

現金書留で。


現金書留にするのにはちょっとした理由がある。

ただ振り込むだけだと、お金だけのやり取りになってしまう気がして。


封筒に、一筆箋に書いた短い手紙と現金を入れて送る。

この方法のほうが、お互いの気持ちもつながるような気がする。


伯母とこの間電話をしたとき、

新橋の伯母さんがすごく元気になっていたことに驚いていて、

「あと10年くらいは生きるんじゃないかと思って」

と言っていたけれど、

長生きできるなら、してほしいし、

その間は、笑顔でいて欲しい。


自分が何らかの形でかかわることで、伯母の負担を減らして、

伯母が笑顔になること。

そして、新橋の伯母さんが笑顔になること。

大切ないのちがそうしてつながること。


月にたった1通の現金書留がそれをつないでいるんだなと、

送ることでも実感するんだなあって思った。


10年くらいしたら、今度は新橋の伯母さんを見送るという、

大切なことが待っているのかもしれない。

そのとき、自分はどんな風になっているかなと、ふと思う。

今の仕事、ちゃんと続けているだろうし、

それが想像できる自分がいる。


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私の仕事は、食べ物に関わる仕事で、

それも言ってみれば「いのちをつなぐもの」なのだけれど、

生業として今の仕事をするようになって、

仕事が忙しくなるにつれて思うのは、

新しいものを生み出そうとするために、

自分自身が楽しんで料理をする機会が減っていること。


試行錯誤しながら料理をすることは、

それはそれで楽しいのだけれど、

試作と試食、レシピの作成を繰り返す日々は、

いわゆる「豊かな食卓」というところからは離れたところにある。


けれどもそれは、それを生業として選んだ者の、

宿命のようなものなんだなと最近思うようになった。


ある意味で、ライフスタイルや生活そのものを、

切り売りしていくことで生きている自分にとっては、

生活であったり、生きていくことすべてが仕事につながるわけで。

その中で気分を切り替えていくのは意外と大変なのだと、

最近ようやく気がついたと言うか。


そうして自分が生み出したもので、

たくさんの人が豊かな食卓を囲んでくれたら、

こんなに幸せなことはないんだなとも思う。


いろんなことがあるけれど、

自分の気持ちや想いに正直に、

どんなことがあっても私は私でいられるようでありたい。


さまざまな「いのちをつなぐもの」と関わりあいながら、

自分がそのつなぎ目みたいなものになっていけたなら。


今思ったけれど、食の仕事を選んだ頃から、

根底にあるそうした想いは変わっていないことに気づく。

「つなぐ仕事」がしたいということ。


ある人が言ってくれた。

「そうやって考えている限り、

 必ずあなたを必要としてくれる人が出てくるよ。

 必ず必要としてもらえる。」

そういって、茶道の先生だったその人は、

当時ソムリエを目指していた私に、

葡萄唐草の袱紗をくださった。

それはいまでも大切な宝物の一つ。


初心を忘れずに、いつもいたいなとふと思った。