新年の抱負もないもんですが。


去年の暮れくらいからずーっと思ってきたことなんですが、

今年はボランティアに参加したいなと思っていて。


でもまあ、多額の寄付を出来るわけでもなく、

海外にいって何かを教えられるわけでもなく。


自分の職分の中で何かが出来たらなって思っているんです。


たとえば、年末の派遣村の時にも書いたけれど、

炊き出しの手伝いとかね。

自分の職分で出来ることっていうと、

誰かに料理を作ることくらいしか思いつかなくて。

それは誰が対象でもいいのだけれど、

食べ物を求める人に温かいものを作るとか、

ボランティアに参加しているスタッフの人に、

おいしい食事を作るとか、そんな感じかな。

他の人に思いつかないメニューを作ることが出来ると思うし、

自分なりのお手伝いが出来るかなって思うから。


少し栄養学が学びたいな。

本を買って読むのもいいかもしれない。


この間、私の友人が、

都内の駅前で、まるでゴミ袋みたいに丸まったものを見つけて、

それが人だとわかったとき、驚いたのと同時に、

声をかけることも、警察に知らせることも出来なかったことを、

複雑な気持ちで話していたけれども、

日本で、そういうことが出来る人はなかなかいないような気がする。


海外はどうなのかなと思ったとき、

真っ先に思い出したのはパリのメトロの構内だった。


パリのメトロにはミュージシャンとかもいるけれど、

みんな基本的にはライセンス制。

電車の中で演奏したり、詩を朗読したりする人もそう。


けれどもそうでない、物乞い、といわれる人もいる。


そういう人に、若い人が声をかけているのを良く見かける。

座り込んだその相手に合わせてしゃがみこみ、

じっと目を見ながら話し込んでいるのを、

パリに行くたびに何度も見かけたことがある。

しばらく行っていないから、今どうだかわからないけれど。


だけど、そうやって声をかける勇気がもてたり、

その後どうしたらいいのか話をしたり出来るって、

ある意味では「民度が高い」から出来るのかもしれないと、

ふと思ったりしたんだよね。


私は、友達の友達が路頭に迷いそうになったとき、

彼が新たな住処を見つけるまで家に泊めたり、

食事を一緒にしたことはあるけれども、

それはたまたま知り合いだったから、というかも知れない。

そうじゃなかったら、家に泊めることはためらったかもしれない。

道端で出会ったら、やっぱり声をかけられないまま、

その光景だけが心に重くのしかかったかもしれない。


せめて、そういう窓口を持っている人たちや、

各国の機関のお手伝いを、

自分なりに出来ることから始められたら。

そんなことを強く思ったりしています。


もちろん、自分の家族のこともあるし、

自分の仕事のこともあるけれど、

合間を縫って余裕があるときに出来たらなあって。


そういえば、私が働いていた、

イタリアンレストランのグラン・シェフは、

休みの日には地方の知的障害者の人たちに、

料理を教えに行っていたのを思い出した。

そういうこともできるんだよね。

方法はいろいろある。


自分が出来ることって何だろうって思ったときに、

たとえば自分の花が種を持ったのならば、

その種を分けてあげることだったり、

それを育てていくことだったりするかもしれないし、

もしかすると、今そういう時期に来ているのかもしれないなって、

このところ良く思うのです。


自分のことだけじゃなく、人を思いやる気持ちや、

人と何かを分かち合うということを大切に。


出来ることから、少しずつでも出来ればいいな。