3年前のあの日…
祖母のお通夜でした

お通夜の手伝いをする為に少し早めに行くことにしてましたが、仕事が忙しく忌引き休暇だけどちょっとだけ礼服のまま出勤してパソコンの電源を落とす時に見たスクリーンの時間が14:35

それから会社から車で5分の祖母の家に向かい車から降りた瞬間に叔父達が家の中から飛び出してきました

庭でも立っていられないくらいの揺れ
急いで中に入ると叔母、従妹、従妹の子供達3人の5人がキッチンの隅に座って泣き叫んでました

一番小さかった2才の子供を抱えて玄関に行くと特にひどくなり世界が揺れてる
今までに一度も経験したことのない揺れでした

まだ泣き叫んでいる従妹達に『逃げてー!!』と叫び、外に飛び出しましたが子供は震えが収まらず

ご丁寧に靴を脱いで中に入った為に落ちてきた食器を踏みつけた足は靴の中で血だらけでした


そこからは墓石も倒れ、お寺も被害があるので住職さんが来られないと言ってきたり、来たけどお通夜を早めに開始し、お経も短縮して早く終わらすことになったり余震の中、大変でした
周りの家は皆、塀が崩れていたり(大谷石を使った塀はことごとく倒壊)瓦が落ちていたり

地震速報のアラームがあちこちで鳴り続け不安だらけ

電気も水道も止まり、住んでいた国道沿い付近は国道を境に片側は灯りがあるのに住んでいる側は真っ暗なゴーストタウン

電気は2日後の日曜の朝に復活
隣県の親戚の家では先に土曜の明け方に復活して、ご飯を炊いたので弟が取りに行ったけど、あの時ほど美味しいと思ったおにぎりはないです

水道は3日後の月曜日に復活したけど烏龍茶くらいの茶色い水が一週間続きました
でも人間は慣れるものでその烏龍茶のような茶色い水でもフツーにお風呂に入ったり、生活に使える…

電気と水がないって本当にきつい
水はアパートの横に用水路があり、そこからバケツで汲み上げてトイレの水に使ってる人も居たけど向かい側の公園は一足先に茶色いけど水が出て来たのでそれをトイレ用に使ってました
飲料水はその時に一緒に住んでいた人の実家が井戸水だったのでそれをもらって

計画停電もその日のその時間にならないとあるかどうかも分からず会社の対応が不明だったり
結局、報道でも計画停電地域に入っていたけど被災地扱いで停電無し

東北に比べたら大変でもなんでもなかったけどあれからもう3年も経つんだなぁ…
あの頃は節電だったり防災だったりアンテナ張り巡らしてたけど、もう忘れてる…
関西に引っ越したら地震が全然ないのでもっと危機感なくなってる

ただあの震災以降一番大事だったものを失くしてしまいました
ずっとこの先も同じく生きていくんだろうと思っていた当たり前だけど後から考えたら一番大事だったもの
最終的には自分の身勝手さが原因だけど震災がきっかけだった
3年経っても今だに立ち直れてはいない
今でも毎週のように夢を見ている
多分この先もこの日がくる度にこの事を思い出すのかな…