修学旅行から戻り、通常の授業がはじまりました。

案の定、中学校の授業に出席できないでいるペンシルです。

 

持ち帰った教材達も、持ち帰ったそのままに紙袋の中にいて、週間後の中間考査の勉強をする訳でもなく、少し前までは、日中、家にある問題集で数学をしたり、英語の教科書を音読だけするようにしていましたが、修学旅行があったり、中間考査の準備期間でそれもストップ。

 

朝起きて、ごはんを食べ、あちらの世界へ戦いに出向き、更新された読み物のパトロールなどをしながら、あたまの隅では学校どうしようかと考えているんだろうな。

登校ができるか・できないか向き合うことに集中してるんだろうな

と母は受け止めています。

 

 

修学旅行を挟めども、この生活がだいぶ安定してきている感があるので、中学に向き合うことは一旦それとして、中間考査後に取り組もうと思っていた全県摸試の自宅受験を、始めていくことにしました。

 

模試の範囲を勉強してから始めたいと言ってた本人ですが、もう始めちゃえ、始めちゃえ。

のんびりしてると受験期間が過ぎてしまうし始めてしまえと話すと、本人それほどこだわりなかったみたいで、1日に1科目ずつ受験していくことになりました。

 

本人と確認しながらとはいえ、親がスケジュールを組んでいる進路にまつわるあれこれです。

中3不登校生。

どうしていきたいか、考えて、自分で決めて、これから希望が叶うよう動いていけるといいのですが…立ち上がる

 

 

1番目ノートと違って

不登校になっても家族には即に受け入れ態勢があった2番目ペンシル。

 

不登校になっても、促されれば(ちょっとですが)自宅で勉強してきたペンシル。

 

ノートの時に時間制限のバトルをした結果、諦めてたので、不登校初期から両親とのバトルなしでスマホ類に制限がなかったペンシル。

 

ノートと違って幼少期から公文など与えられたままにこなし、ノートやルーラが遊び回ってやらない時ほど、親の言うようにした傾向ある気がします。(冷蔵庫脇やキャビネット裏に、ときどき数枚「白紙のかくし公文」が発見されてきましたが)

 

自分で決めてこなかったぐすん

ということはなかったかどうかと。

 

いや、そうではないか。

ペンシルと3番目ルーラがやらない多くの場合に、ノートだけ仕方なく観念させられ?やってきたというのが我が家の歴史。

 

ペンシルは、思い返せば、中学受験塾も小4の1年間だけ通い、小5からは「行かない」と他塾の数英個別指導に切り替えていました。

小1から小6まで通った公文も、最後の2年間は教室での居残りが(友達と遊べないから)嫌で、通いを止めて、毎週、教室へは母が教材を取りに行き、そのうち答えの冊子をもらって自己採点する、自宅完結スタイルに本人希望で切り替えてもおりました。

 

自分で決めてきたこともあった。

と思います歩く

 

 

中間考査が終わったら

できるだけ放っておけるといいかな

 

 

中学校に行けれないのなら、本当は行っても・行かなくてもいいし、フリースクールへ戻りたいなら戻ってもいい。

(自分から言い出さないかぎり戻さないようにしようと思ってますが)

できれば通う力を失わないよう、どこか通える場所を見付けられるといいのですが、通いたい場所なんて、そう簡単には見つからないです。

もう3年生だし、進路選択のプレッシャーがある訳だから、この生活で刺激はあるはず。

 

あれこれ試させたりしないで

ゆっくり休んで

パワーをためていけれるようにできたらなと思います。