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この花を見るたびに思い出すエピソードと
松尾芭蕉の句があります。
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江戸時代「奥の細道」で芭蕉が象潟で詠んだ句
「象潟や雨に西施がねむの花」です。
この句の解釈は色々ありますが、表向きは芭蕉が訪れた
「象潟は雨に煙っていたが、ねむの花がまことに印象的で、
中国古代の美女西施を想わせるほどであった 」というものです。
西施は「中国三大芳香美女」、楊貴妃、香妃と
並ぶ今から2500年ほど前の中国春秋時代の美女でした。
当時は美女というと容姿だけではなく、「挙体芳香」
といって香ばしい体臭も美女の条件だったそうです。
史実によると楊貴妃は麝香の香りが、(´ω`)
そして香妃は棗(ナツメ)の花の香りがしたそうです。
さて西施は紀元前400年代の「呉越同舟」時代、
越の国の絶世の美女でした。
彼女の体臭は蘭と麝香の香りがして(蘭麝体)、
沐浴していた水からもふくよかな香りがして、
人々はこぞってこの水と汲くんだとも伝えられています。
当時、呉の属国となってしまった越の王、
勾践(こうせん)が、復讐のため、ヾ(`ε´)ノ
呉王夫差にこの絶世の美女西施を送り込んだのです。
それは、夫差を堕落させるためのものでした・・・・
そして案の定、夫差は西施に耽溺して政治は
手につかず、やがて国は傾き・・・・呉の国は
とうとう越王勾践によって滅ぼされたのです。(/ー ̄;)
そして、呉の滅亡後,西施は取り戻されましたが、
彼女がいると国難のもととなるであろうと考えた
勾践夫人にうとまれてしまい、( ̄▽ ̄;)!!ガーン
なんと生きたまま皮袋に入れられ
長江に捨てられたというのです。 ( >艸<)
西施が美しいばかりの悲劇でした。
西施は地名としても残されています。
世界的に有名な浙江省都杭州の名勝
西湖は西施湖ともいわれています。
そして西施は長江でなく西湖で
水死したとも伝えられています。…(;_・)
次に続く(^_^)/