出羽松山藩 2万石
荘内藩から支藩された藩で
松山藩の歴史は、
正保4年(1647年)3代忠勝の三男忠恒が分封されたことに始まります。
第3代藩主忠休が江戸城二の丸の若年寄を
勤めた功績により5千石を加増されたうえで築城を許されました。
この大手門は、寛永2年落雷によって
1度消失されました。
寛永4年に本間家の寄進によって再建されたものになっています。
梁間 3間 桁行 5間平面の櫓門で
棟上には、1.14メートルの鯱があげられています。
松山地域では、
2025年5月1日 中山神社例大祭
松山まつりがありました。
松山まつりは、松山藩酒井氏が
徳川家康の嫡男 松平三郎信康と藩祖 酒井忠次を祀るため中山神社を創始し、祭典を催し神輿が市中を練り歩くようになり、
それを警護するために武者行列が行われる
ようになったと言われています。
荘内松山藩萩野流砲術隊の演舞や