庄内藩校 致道館へ
行ってきました。
致道館の名称は、「君子学ンデ以テソノ道ヲ致ス」から由来したもの
酒井家9代忠徳(ただあり)が退廃した
士風を刷新して藩政の振興をはかるために
文化2年に創設した学校で駅前通りにあったそうです。
文化13年10代忠器(ただかた)によって鶴ヶ岡城三の丸内に位置する現在地に移設されました。
致道館の教育目的は、道徳を学び文武に務めて国家の御用に立つ人物を育成すること
白梅や
紅梅が満開な花を咲かせる。
遺構部分(当時の間取りの平面表示)
生徒の通用口 東御門
藩校建築としては、現存する東北唯一のもの。
庄内論語
当時の教えを現代の子どもたちにわかりやすくかかれたもの。
明治6年に致道館が閉校。
以後も旧藩士の寄合が開かれ中国古典の
素読を高める。
子どもたちに
素読体験を通して庄内藩の学びの精神を
継承。
子曰く(しのたまわく)学びて時に之をならう亦説ばらしずや
とも遠方より来る亦楽しからずや
人知らずしてしこうしてうらみず。
また君子ならずや。
梅やつばきが綺麗に咲いていた、
庄内藩校 致道館。
ぶら〜りさんぽでした。