議会だよりを編集する岩沼市議会の広報委員会(高橋光孝委員長)は15日、市議選があるために前倒しして開会した「11月定例会」の内容を紹介する議会だよりの編集について協議しました。その会議が終わり部屋を出ようとした私に田村宏委員(議員)が暴力をふるい、私も応戦したので、高橋委員長らが2人の間に割って入って田村委員を押さえつけると同時に、暴力のエスカレートを防ぐため、私に対しては「部屋から出たほうがいい」と叫んで、2人を引き離したりする「事件」がありました。

 

田村委員による本会議場でのセクハラやパワハラ(2月定例会)のほか、私が主宰する議会報告会に3人で現れての妨害(3月)、私の一般質問に対する本会議場での妨害(6月定例会)や私を誹謗中傷する本会議での演説25分間(同)、私が職員の実名を挙げて誹謗中傷したと指摘する根拠のない一般質問(9月定例会)など、厳粛さや権威が壊れてしまっていた岩沼市議会の体(てい)たらくはいよいよ、委員会室での暴力行為にまで発展してきています。由々しき事態です。議長や長老議員が田村委員を泳がせている場合ではなくなっています。

 

暴行事件の端緒は、会議が終わるころに、渡辺ふさ子委員(共産)が11日付の新聞に折り込むなどしたチラシ(議会報告 No.73)の内容について、田村委員が事実関係などを広報委で検証するべきだなどと場違いなことを言い出したことでした。チラシには、その表現にも何の問題もありません。田村委員にとって「気に入らない」だけのことです。

 

田村委員の暴力は、私に言い寄ってきてまずは私のスーツの左襟を右手で強くつかんで揺さぶったこと。私は対抗して左手で田村議員のジャケットの右襟をシッカリ握って、前後に揺すって応戦しました。ボクシングで言うならクロスカウンターのような交差です。田村委員には「説明なんか聞きたくない」「聞くだけ時間の無駄」と言い放つと、目つきが変わって田村委員の右手が私の襟に伸びてきたのでした。

 

高橋委員長らから引き離されてからは、私が右手に持っていたタブレット端末と眼鏡を、ちょっと離れたテーブルの上に置いて、ファイティングポーズを取って田村議員に2度、接近しようとしましたが、事務局職員らからも「止め」がかかったこともあり、バカを相手に本気になるのもバカバカしい、などと自重しました。

 

2人が引き離されてからは、田村委員が私のことを「鼻たれ小僧」と罵倒しました。これに対して私は「小便たれ議員」とやり返しました。田村宏委員は議員になりたてのころ、議会棟1階の男子トイレ前で粗相をしでかしました。トイレ入口のあたりを広くびちゃびちゃにして、そのまま全員協議会室に入って席に就いたので、椅子も濡れてしまい、布田恵美議員が拭き取ったりしているのを目撃したものでした。

 

田村委員の場違いな発言に対しては、飯塚悦男委員が「広報委で議論する問題ではない」などと却下することを主張。私も「広報委がやるべき仕事ではない」「そういう声が委員会で出たことを議長に伝える必要もない」などと意見を述べました。

 

渡辺委員は「遅刻常習者」と田村委員から揶揄されていますが、田村委員は令和3年の2月22日と6月15日、11月19日に本会議や議会運営委員会を遅刻しています。自分のことは棚に上げるパターンです。自分が遅刻するのはいいけど、他人(ひと)の遅刻は許さないのですかね。

 

私が2月議会で食らった「大友健を非難し糾弾する決議」のときもそうでした。本会議場を一時退席したことに対して田村宏委員が出した決議ですが、その前日には田村委員が本会議場を一時退席しているのです。トイレに行くことも含め、一時退席は全国どこの議会でも認められています。自分(田村委員)が退席するのはいいけれど、他人(ひと)はだめというご都合主義です。

 

こういう人は、公務欠席も公然と重ねます。田村委員は議員になったこの4年で本会議の欠席が13日、委員会の欠席は8日に及びます。こんなに公務欠席する議員は全国のどこにもいないでしょう。遅刻は4回、早退が4回もあります。公務というものに対する認識が甘すぎます。議長による「厳重注意」などの指導があってしかるべきでした。

 

この約4年間は順に、飯塚悦男議長(2年)佐藤淳一議長(現市長、約6カ月)櫻井隆議長(約1年5カ月。現在も)と議長が3人です。田村委員が議員になって早々に、議長席占拠事件があって、議会が約1時間空転したことがありました。私は落選の身でしたが、議会の運営に重大な障害を引き起こしているのに、何のお咎めもないのはいかがなものか、という思いはありました。田村委員の、議会でのやり放題を黙認するなど、甘やかした結果が、今のパワハラ・セクハラ議会につながり、15日のような暴力事件まで発生するようになっているのです。