12月17日告示24日投票の日程で行われる岩沼市議選に出馬するために準備を進めていた女性新人有力候補が出馬を撤回し、代わりにというかその裏で、先の県議選(10月22日)で落選した当時現職の佐藤剛太氏(46)が市議選に回って復帰を目指すことが濃厚であることが、7日までに分かりました。これが本当なら、剛太氏はトップ当選で市議に返り咲くでしょう。しかし、前途洋々となるかどうか、それには大いに疑問があります。一方、その女性も「政治的な傷」を負うことになるのは必至だと思います。

 

その女性新人候補が出馬を撤回したと私が判断した根拠は、岩沼駅西口広場の直近の交差点のところのブロック塀にあった、岩沼市選管が認定する「その女性の名前を記した看板」が撤去されていたからです。7日午後3時ごろに気づきました。また、午後6時ごろには、駅東口に近い交差点のところにある飲食店の壁際にくくられていた「看板」もなくなっているのが、確認できました。

 

「何だ、これは」です。これからが選挙の本番というときに「看板」が消えるということは選挙に出ないという意味に違いありません。

 

この候補が有力とみられたのは、実は、県議の座を昨年6月に勝ち取った剛太氏の、市議としての後継に指名されていたからです。剛太事務所の事務員です。また、岩沼西小や岩沼西中で長年、PTA会長を務めたことなどが、周囲からの「有力だ」という評価を高めていました。猛暑だった今年の7月から市議選に向けて本格的に動いていました。先の県議選でもマイクを持つなどして、剛太氏の応援で活躍していました。しかし、剛太氏が落選したことで状況が変わってしまったのです。

 

県議選の結果が出た後の25日の未明に更新した私のブログに、剛太氏が「市議選に出馬? それは、なし」という見出しを付けて書きました。これは政界の論理・常識なのですが、岩沼の議会自民党は「非常識・良識なし・教養なし」なので、その環境にいた剛太氏は、どうやら「それは、有り」と非常識に傾いたのでしょう。

 

また、剛太氏が市議選に出れば恐らくトップ当選だと私が思うのは、落選したとはいえ、先日の県議選で7千人を超える有権者に「佐藤ごうた」と書かせたばかりだし、何より「(落ちて)お疲れさまでした」という同情票も多く見込まれるからです。新人有力候補だった女性が傷つくのは、「選挙に出ますと言って、結局、出なかった」のは、世間にウソをついたことになるからです。

 

月曜日の6日は実は、市選管が主催する「市議選立候補者説明会」がありました。説明会には、立候補する予定の私など現職15人の市議陣営の面々と、1人の新人の関係者が出席しました。説明会に出席しないと立候補できなくなるわけではありませんが、18人いる現職で姿を見せなかったのは須藤功、田村宏、布田一民の3陣営でした。出席した1人の新人は、佐藤淳一市長の地元である「矢野目」地区の一角に住む40代の女性です。

 

岩沼市議の定数は12月の市議選から2減の「16」となりますから、15足す1の「16」という数は、定数ちょうどプラスマイナス・ゼロという数です。剛太氏の陣営関係者は現れなかったし、剛太氏の市議後継者とされた女性新人有力候補の関係者も来ていませんでした。しかし、岩沼の政界をのぞき見している人たちは、この2人が同時に選挙に出て同じ土俵で戦うことはないだろうが、どっちか1人は必ず出るはずだから、いずれ「17」になると想定します。だから、選挙になる、無投票ではない、という見通しとなるわけです。

 

では、今度は、矢野目の40代の女性がどう判断するか、に焦点が移ります。残念ながら、この女性と私は接点がありませんから、直接、聞くわけにはいきません。周りから聞こえてくる情報としては、以下のようなものがありました。「冷やかしでそういう場に行く人ではない」「活動的な人だ」「高校生の年代のお子さんがいる」「現職議員に同級生がいる」「現時点で立候補を決めているわけではない」などなど、です。

 

ほかにもまた、市議選に名乗り出る人がいれば素晴らしいのです。が、なかなか現れません。10月の県議選の前には、もう1人の新人の名前が取りざたされていました。住まいは「玉浦地区」ですが、家族の反対とかで断念せざるを得なかったようです。有為な人材が、または、新たな人材が残念ながら、岩沼市議会には供給されません、注入されません。議会は既にして、市民から見放されているのかもしれません。