陳 述 書
年 月 日
熊本地方裁判所 御中
陳述人 店長■■ ■ ■ ■
1 ■と■の■である■■■■は、長年にわたり、企画デザイン、HP作成など広告関係の仕事をしてきましたが,平成24年ころに健軍商店街振興組合ビル1階で野菜・果物等の店頭販売をしていた道の駅が閉店するのを知りました。以前より知人生産者の野菜や果実をとても美味しく思い、熊本の野菜や果実の美味しさを多くの方に提供したいと考え,私達夫婦がその場所で野菜・店頭販売を行うことになりました。そこで,店名を「熊本産直便り」として開業しました。しかし,こうした青果販売については全くの素人でした。
2 平成24年から廃業せざるをえなかった平成29年7月迄、健軍商店街振興組合ビル1階で、主に熊本産の野菜と果実等を多くのお客様に提供してきました。熊本地震後も支えて頂いた従業員の方々、新鮮な野菜や果実、評判の手作り品等を提供して頂いた生産者の方々、そしてご利用頂いた多くのお客様達に感謝しています。
料理好きな主人が作る試食や様々な年齢のお客様達の情報に、多くの会話と笑い声が店頭まで響き、口コミで遠くからのお客様も増え、楽しかった光景が今も思い出されます。
当時のお客様達に会う度「産直さんからの笑い声や会話が商店街に響いて賑やかだった。今、健軍商店街は寂しい。お店の再開を楽しみにしているよ」の声を頂き嬉しく思います。心身共に元気になったら、笑いと会話が飛び交う産直便りの様な店を再開したいと思っています。
3 しかし私達は未だに地震後の様々な事に心身共に病み苦しみ、多くの不条理な疑惑から解放されずにいます。投げ出したらどんなに楽だろうと思いますが、被告の理事達との裁判中、次々と噴出した商店街振興組合や行政の不条理や疑惑にどうしても納得いかず、この訴訟を起こしました。きちんと向き合い納得しないとずっと心に残り、苦しいのです。長い陳述書になり申し訳なく思いますが、それだけ色々な事がありました。陳述書を書く事は、また苦しかった事を思い出し辛いのですが、頑張って向き合います。
4 平成28年2月末には,組合との間で賃貸借契約を更新することになりました。同年3月初めころ,私の■が倒れ,法事が続いたため暫く店を閉めました。3月25日には被告との間で賃貸借契約の更新書類を締結し,■の件で休んでいた店を再開しました。
5 同年4月14日に熊本地震が発生し,店内の一部が被災しました。しかし,翌日の4月15日は復旧作業をしながら営業を行い,多くの被災者の方が来店されました。平成28年4月16日,仕事を終えて自宅に帰ったところ,熊本地震本震が発生しました。近くのサンリブの建て増し部分がアーケード側に崩壊してアーケード自体も一部崩壊し,電気・水道などのライフラインが止まっており,私達も避難をしなければならないのではないかと考えていましたが,私達は多くの被災者の方が必要とすることに応えなくてはならないという一心で,お店の営業は継続することにしました。
6 日中はお店の営業を行い,夕方からは仕入れ作業に奔走し,夜遅くまで翌日の準備をする毎日で大変多忙でした。当店も一部被災しましたが,店内を片付ける暇もない程に多くの被災者の方が来店されました。主人は、余震の中、毎日仕入れに行っていました。
被災者の方,特にお年寄や病気の方々から「地震直後すぐ開けてくれて、こんな沢山の品物をありがとう」と涙を流し感謝されました。地震前の3月に亡くなったばかりの母と重なり涙が出ました。
接客や準備で忙しく、当店の被災箇所の修理も出来ないままの不便な店に来店して頂いた事に私達も感謝しました。生野菜や果実が不足している避難場所にも、当店の野菜や果実の提供を始めました。
7 当時の被告の理事長である森田氏の奥様が当店に来て「自衛隊がまた大きい地震が来ると言ってる」と大声で言い放ったので,主人が自衛隊に確認したところ,「そんなことは言いません。」との回答でした。
8 熊本地震後すぐに,当店のお店の前にロープがいつの間にか張られ,そのロープに「東警察署」と記載された紙が下がっていました。そのロープに自転車が引っ掛かって転倒した事を聞いて、危険と感じた主人が東警察署に尋ねたところ「署はロープ等をしていない。」と回答し,その後すぐ現場に来られました。すると,被告の理事達が慌てて出てきてロープを外していました。
9 被告の理事達は、当時の釼羽前理事長・相談役(現:熊本県商店街振興連合会会長)を始めとして,外部の者を引き連れて,熊本地震の本震直後から本件建物に連日のように異常な頻度で出入りするようになりました。
10 私達は困って来られていた被災者の方々の接客に追われていましたが,実質的な大家である被告の理事達は,当時組合員だった私達に対して,被災している当店の現状を目にしながら、被災状況の確認もせず,また「困った事はないか?」等の声掛けも応急処置もしてくれず,外部(行政や中央会だったと記憶しています。)に対してのみ被災状況を説明しているという言動に、私の心はかき乱され不安で一杯になりました。
11 主人は被告の理事達に対して「私達は契約中で権利もある。ビルの今後の話合いに入れて欲しい。」と頼みました。
12 しかし,平成28年4月26日,被告の理事達8人(釼羽、森田、有働、鵜飼、井川、藤谷、村里、荒木の各理事)が,突然,私達に対して退去を通告してきたのです。
専門の調査員による本件建物の調査も行われていませんでしたが、私達が被災者の方々への接客で忙しかった午後2時頃、鵜飼副理事長が主人を突然呼びに来ました。しかし,主人は接客対応中で行けずにいたところ,再度催促に来られました。「ビルの今後の話合いだろう」と主人は指定された場所に向かいました。接客が落ち着く夕方にするとか、事前に連絡するなどの、理事として組合員である私達に対する配慮が全く無かったことを残念に思いました。

13 理事達との話合いを終えて店に戻った主人からは「8人もの理事達に囲まれ退去だけを求められた。店長(私)も理事達から直接聞いたが良い。」と聞き,想像もしていなかった突然の話に、私は恐怖で震えが止まらないまま、接客中のお客様達にどう説明して指定場所に向かったのか覚えていませんが,とにかく理事達の指定場所に向かいました。
14 指定場所に到着すると,被告の理事達がずらりといました。私から向って左側の一番奥に当時の釼羽前理事長、その隣に当時の森田理事長、有働副理事長(現:理事長)、井川副理事長,更に右側の一番奥に当時の鵜飼副理事長、ふじや理事、村里理事、荒木理事の順に8人もの理事達がおり,その右に組合事務局(被告)の事務員が一人いました。
私一人に対して8人もの理事達と事務員が必要なのか?と吃驚し,その光景に恐怖で頭が真っ白になり,これは現実なんだと恐ろしくなり震えが止まりませんでした。また,理事達の誰もが一人では伝えられない程ひどい内容を、理事達8人で責任回避しているように感じ,情けなく思いました。
理事達から危ないから退去するように言われた私は,震えと動揺を気付かれないよう声を振り絞り「あのビルはあなた達のビルではない。まだ専門家の調査もないのに誰が危ないと決めたのですか?私達も専門家の調査を一緒に見ます。被災者の為に店を続けます。」と答えました。すると,理事達は「自分達が危険と決めた」と回答しました。これに対し,「私達を出した後ビルの家賃収入は無くなるが、今後どうするつもりですか?」と聞くと「建て直す。」との回答でした。そこで,私は「じゃあ新しいビルに私達も入る権利がある。入れて下さい」と発言しましたが,理事達は誰も何も答えませんでした。
私は「こんな突然の追い出しは誰でも路頭に迷います。次の店や準備金は?」と尋ねた時、釼羽前理事長は,一番左奥で声を出さずにほくそ笑んでおり「やっぱり金の話をした」と言っているかのようでしたが,私の目と合った瞬間、隣の当時の森田理事長の後ろに隠れました。結局、理事達は「準備金など無い。退去を」とだけ発言しました。
私は釼羽前理事長の態度を見て怒りに震えていましたがこれをぐっとこらえて「8人もの理事達に囲まれ突然退去だけを求められ、恐怖の中にいる者(私)が、勇気を振り絞って路頭に迷うからと準備金や次の店の話をした瞬間、声を出さず笑うなんて、人の心をお持ちですか?」「今、私が次の店や準備金の話をした時、この中で笑った人がいますね?あなた達理事は、今まで組合員の為に何をされましたか?」と問いましたが,理事達はシーンと静まりかえったままで,誰からも返事はありませんでした。
突然、当時の森田理事長が「家賃滞納があるが?」と言いだし始めましたので,「払います」と即答しました。私の母が3月に急に亡くなり葬儀等で暫く店を休み、その後、店を開ける準備等で忙しかったところ、4月に熊本地震が発生し,睡眠もとれないほど毎日が忙しく
また多くのお客様を待たせていましたので、それ以上その場にいる気持ちの余裕も理事達と議論をする時間もありませんでした。そこで,その場にいた組合事務員に「ここで携帯番号を交換するので、電話後集金に来て下さい。今も沢山の被災者が待っています。こんなひどい話を聞いている暇はありません。」と伝えて店に戻りました。
理事達の突然の退去通告に恐怖感は全くぬぐい去れませんでしたが、多くのお客様達に救われその日の営業をなんとか終えました。
15 営業が終わってから,主人から、理事達との話を聞きました。
主人も8人の理事達と事務員に囲まれ、釼羽前理事長・相談役に肘でつつかれた当時の森田理事長が促されるように立ち上がって主人に対して退去するよう発言し,主人がビルの今後を尋ねたところ「決まっていない」との回答であったこと,「被災者の為に炊き出しをしましょう。当店の品物を使って下さい」との主人が発言したところ、当時の有働副理事長(現健軍商店街組合理事長)が「あなたがしたら」と発言したこと等を聞きました。
理事達は、本件建物の今後について、主人と私に対して異なるその場しのぎにも思える発言をしていました。このような理事達の言動に、この商店街は大丈夫だろうか?と不安に思いました。
16 平成28年4月27日に,調査員が本件ビルに来て罹災判定を行いましたが,その判定は「要注意」でした。私達が調査員に状態を聞いたところ,「繋ぎ目の壊れを修理したら大丈夫」との話でしたので,安心しました。
17 平成28年4月28日になって,接客が一段落した昼12時26分、午後3時頃、午後5時近くに私が被告の事務員に電話しましたが出ませんでした。理事達の前で携帯番号の交換をしましたので、私の電話には気をつけているはずなのに電話に出ないとは変だなと思いました。「啓文社さんが総会資料印刷の件でいらしてます」という用件で被告に電話やメールをしても被告の事務員からの返事はありませんでした。
すると,午後5時ぴったりに,当時の森田理事長、有働副理事長、鵜飼副理事長の3人が、解除通告の書面を主人に渡しました。
4月26日の突然の退去通告同様、またも突然4月28日に解除通告を行っており,事務員に電話やメールをしても一切出なかった事,4月が30日まであるのに2月が28日までであることから4月28日付で理事達3人が午後5時ぴったり既に用意していた解除通告を持参した事、全てが一本の線となってつながり,予め理事達が画策したことであったのだと分かりました。私はまた被告の事務員の携帯に電話しましたが、当然出る事はありませんでした。
その後、当時の有働副理事長の店である山陽堂に,当時の森田理事長が居ましたので,「こんな酷い事は止めて下さい。集金の件で事務員に何度電話しても出ない。理事達(被告)が事務員に出ないよう指示したのですか?
森田理事長と有働副理事長は、私を見ずに小声で何かぼそぼそと言うだけでした。
私は,当時の鵜飼副理事長の店に行って「私達は何故こんな酷い目に遭うのですか?」と言うと,鵜飼副理事長は「もう遅い。もう遅い。」と相手にもしてくれない状態でした。電話しても出ない。それで「もう遅い」とは一体何なのか。余りに酷いと思いました。
また,電話に出なかった被告の事務員も自分の意志では無かったのだろうな…と気の毒に思いました。地震前は普通に交流していた組合の仲間達(もちろん被告理事達も含みます。)と,理事達の地震後の様々な言動で関係が破壊されてしまったことを悲しく思いました。一体誰の発案でこんな酷い事が行われたのかと疑念が尽きることはありませんでした。
理事達が地震直後から補助金(=税金)にとらわれ、当時の組合の私達に被災状況も確認せず、退去通告や解除通告ありきで事を進めていた事を改めて感じ、本当に恐ろしく思いました。
私達も店と自宅を被災しながら、被災者のお客様の気持ちに寄り添い、毎日遅くまで仕事をしていましたが、理事達は,組合員だった私達に対し突然の退去通告と突然の解除通告を行いました。長年、家賃、アーケード代、アーケードの電気代、組合費など諸々の決して安くない経費を払い続け、健軍商店街の集客にも貢献し、組合員である当店を、こんな酷いやり方で退去を求める被告の理事達。経験した事も無い理事達(被告)の数々の酷い言動によって生じた感情をどう表現していいか今もわかりません。
「何故こんな怖い事が私達に起きてるの?」と主人に問いかけたところ,主人は「明日からも被災者の為に店を続ける。今から仕入れに行く。」と答えて淡々と仕事を続ける潔い主人の姿と、接客や仕入れ、被災箇所の修理、溜った雨水の汲み出し等を続ける中、突然の理事達からの様々な酷い言動への心労で、痩せていく主人に涙が出ました。
しかし,その主人の姿は、組合・理事達との裁判で見えてきた組織や行政への様々な不条理な疑問に向き合う強い気持ちを私にくれました。理事達に対しては,逆にあなた達が私達の立場だったらどう感じてどう対処されたでしょうか?と問いかけたいです。
18 理事達による突然の解除通告をどこで聞いたのか、お客様が「以前このビルでお店をしていた人が、長い間、家賃を滞納していても理事達(被告)から解除通告は無かったらしいし、組合経費などを滞納している他の組合員の金額に比べると、産直さんだけ解除通告は変だよ。」と教えてくれました。次々と起きる酷い通告や内容、そして色々な情報に、私達は心身共に疲れが増していくばかりでした。
19 その後も見た事がない人達が買い物に来て、私達が知らない事や健軍商店街の歴史等を話される等、不思議な事が起きました。初めてのお客様でしたが,「この商店街の事を何も知らんでこの場所で店を始めたの?」と発言されました。地震後、それまでお客様だった数人の方がいつからか来店されなくなり、一部の理事やその奥様が遠くから当店を見ている姿を多く見るようになりました。
私達は,色々と情報提供していただいたり本件の事情を知っているお客様に対して「ここに店を構えた時から、私達が良いと思う品物をお客様に提供し、お客様や従業員と楽しく商売を続けてきただけです。地震後色々な事が起きて残念ですが、私達は地震後の事実だけを話しています。私達の話だけでなくどうぞ遠慮なく理事達の話も聞いて下さい。そして噂に関係なく欲しい物を買いたいお店で買って欲しいと思います」と伝えてきましたた。これは商売に関係なく、主人と私の生き方です。
20 平成28年4月29日(退去通告の翌日)から,私達は,被告から,回覧、行政の補助金によるイベントや総会などの組合員の集まりからの排除が次々と始まりました。こうした状況を見ていた方からは,「組合は,被災者の為に頑張っている組合員の店(当店)の応援や被災箇所の修理もしないで、地震直後からの10日間、産直さんを退去させる事とかこのビルの補助金の働きかけの会議をしてたの?行政はそんな理事達の話だけ聞いて、被災しながら頑張っている産直さんには確認もせずに補助金を出すの?補助金は税金だよ。署名運動するよ」といった声が多く寄せられ,心強く思いました。
21 平成28年5月1日,早急に修理をするよう求める原告の要望書を理事達に提出しましたが,この要望書への返事も視察もありませんでした。
22 26日の退去通告後,「貴方(私)のお店の周りの店の雰囲気が変だけど何かあった?」とお客さん達に聞かれ始めました。理事達の店に囲まれ、集団からの無視がなされ、いじめみたいな追い出しが始まってましたので、自分の店なのに店に行きたくないと私の体が拒否し始めました。ストレスからか2時間程しか眠れず,主人共々体に様々な症状が現れましたが、私達はビルや店を守りたいと必死な想いで、体の悲鳴は後回しにして,接客・仕入れはもとより,雨水の汲み出しを毎日続けました。
23 主人は、理事達からの数々の酷い言動の中、雨水の汲み出しと修理で、体重が激減しうつ症状が出て苦しみ続け、数か月にもわたり心療内科の通院を余儀なくされました。
私は、理事達の店に囲まれ無視をされ続け、排水の為の小さい穴も理事達に許可されず,雨が降る度に溜った雨水を,主人が夕方の仕入れ先から帰るまでの2時間の間,暗い階段を首から下げた携帯の灯りを頼りにして4階まで上がり、雨水一杯のバケツを両手に1階まで運ぶことを繰り返し、気の遠くなる様な毎日の作業でした。
24 そんな中、まるでドラマみたいな事が起きました。ある雨上がりの朝、雨水の汲み出しを覚悟して上がった主人が「全く雨水が溜っていない。修理箇所も壊してないのに…不思議だ。」と降りて来ました。私達は色々考え、当時、色々な場所の修理に来ていた県外の青年二人が汲み出してくれたのではないかと考えました。当時、その二人は当店を通って屋上に上がる際、私達と話したり果実を買ってくれる爽やかな好青年でした。その青年達が,雨の中、溜まった雨水を汲み出す主人の姿に想うところがあり、修理作業を終えて出身地に帰る前夜に汲み出しをしてくれたのだと思います。
私は思わず泣いてしまいました。その日からその青年達を見る事はありませんでした。彼らが組合からの依頼会社の下請の立場なら迷惑がかかると思い、組合事務所に彼らの会社を聞けなかったことがとても残念でした。いつか青年達を捜し、お礼を言いたいと思っています。
また、ある日、バケツ一杯の雨水を1階の排水溝に何度も捨てる私に、不思議そうに尋ねた若者達が手伝ってくれたことがありました。理事達は,4階から1階に汲み出した雨水をバケツで運ぶ若者達の姿を見て驚きながら各々の店の奥に入って行きました。私達は,若者達に対してお礼として果実を沢山食べて貰い,サッカーの試合があると聞いたので,沢山の色々な果実を数個のバナナ箱一杯にしてお礼としてお渡ししました。
さらに、別の雨の日に、あるお店から手伝いに来た奥様は、雨の中、濡れながら汲み出しを手伝ってくれました。他にも沢山の応援が私達に元気をくれたお蔭で、退去まで汲み出しを頑張れたと思います。感謝の気持ちで一杯です。
しかし、証拠として提出したカレンダーの書き込みのとおり,凄い日数の汲み出しを行いました。夜や雨の中汲み出しをしながら、これがいつまで続くのだろうかと本当に苦しかった。今でも時折夢に見て辛すぎて目を覚ます事があります。
25 平成28年5月24日,与野党議員や省庁職員達が崩壊したサンリブ前に集まったところ,当店に多くのお客様がいるのに気づき多くの議員や行政職員が当店に話に来ました。
ある国会議員が「沢山のお客様ですね。健軍商店街組合ビル継続の為ずっと働きかけてきました。今回も何とかするので頑張っていて下さい。」と仰いました。また,内閣府復興副大臣は「被災直後なのに新鮮な野菜を多くの被災者に提供して頑張ってますね」と野菜を沢山購入してくれました。
理事達はこの様子を遠くから眺めており,それを私達も分かっていましたが,大家が店子を追い出したら補助金の申請は出来ないこととなっているため理事達は当店へ退去通告・解除通告したことは議員や行政に言わず、補助金を出せるための働きかけとしての材料に当店を利用していると感じましたが、私達はあえて議員や行政職員に何も伝えませんでした。
26 平成28年6月25日,釼羽前理事長が2階からバタバタと足音をさせながら「弁護士が許可した。修理箇所を壊せ」と凄い剣幕と大声で、主人に向かって言いました。私はその姿が恐ろしく,思わず後ずさりしました。
釼羽前理事長の言動があまりに怖く、従わなかったら何をされるのかも分からないと思いましたので,主人とどうしようかと協議しましたが,主人は「壊れたつなぎ目からビル全体に雨水が落ちて凄い状態になる。どんなに時間かけ工夫したのか誰も理解していない。ダメだ」と拒みました。主人が、営業や仕入れ、雨の度に修理や汲み出し等で相当に痩せた事への心配と工夫して修理した事に本当に申し訳ないと思ったが、やはり釼羽前理事長の言動を怖いと思う気持ちに負け、修理箇所を壊すことにしました。
27 平成28年6月27日,私は釼羽前理事長以外の理事達の立ち会いを求め、当時の鵜飼・有働副理事長が見守る中、主人は納得しないまま,主人が多大な時間と工夫をかけた完璧な修理箇所を壊しました。すると同時に、主人が懸念した通り、つなぎ目をつたい溜った雨水が3階,2階,1階に流れました。当店のビニールシートで囲った場所はたちまちプール状態になり,悲惨な状況になりました。
この現実に直面し、主人の修理が完璧だったと改めて理解し、主人がどんなに無念だっただろうと、本当に申し訳なく思い主人に謝りました。一部がプール状態になってしまったので,私達はそれらの雨水を汲み出し始めましたが,理事達はその私達を尻目に無言で当店の出入りを続けました。
修理を壊した後の雨水により,当店の天井ボードが落下したり、カビが生えて衛生面が悪化し,漏電が発生するのではと心配事が増え、商品や当店の機材なども損壊し、暫く店内での営業が出来なくなってしまいお客様にも迷惑をかける結果となりました。当時の釼羽前理事長の「壊せ」という余りに不条理・不合理な指示に従った事を私は本当に後悔しています。
その後,主人は、心身共に病みながらもまた再び完璧に修理しましたが,理事達は4階ベランダに溜った雨水の排水の許可をしないため,気の遠くなる汲み出し作業を再開しました。店内も乾燥したのでカビ取り作業を行い、ボードを張り替えましたので、再びお客様達が店内で買い物することが可能になりました。
主人の頑張りに従業員の方々やお客様達は感心しながらも「オーナーは随分痩せたけど大丈夫?」と心配していただいた上、時には食事を作ってお持ちいただいた事もあり大変感謝しています。
28 平成28年7月1日,ADRが始まりましたが,これ以降被告からの様々な排除が始まりました。平成28年7月2日には,イベント・復興七夕ワゴンセールが開催されましたが,当店は排除されました。同年7月6日,健軍商店街組合事務所が仮の場所に引越ました。同年7月22日・23日には支援物資販売が行われましたが,当店は排除されました。同年8月19日,保健所から当店に弁当販売の許可証書が届きました。同年8月20日・21日はイベント・マルシェが開催されましたが,当店は排除されました。
29 同年8月22日,主人が健軍商店街振興組合事務局に対し議事録の開示請求をしていましたが,一向に返事がなかったので,主人は事務所に確認に行ったところ,署名捺印もない簡素な議事録を見せられました。そして,その組合名簿から店名(産直便り)と主人の名前が抹消されていた事が確認できました。
30 当店には,平成28年9月14日の臨時総会への案内は配布されませんでしたので,平成28年9月9日に臨時総会の案内状を請求しましたが,理事達は拒否したので,私達は出席すると被告宛にFAXで送信しました。
31 平成28年9月12日,当時の森田理事長は当店において私達に対して「退会扱いなので臨時総会への出席は拒否する」と発言しました。主人は,「発言が次々に変わり信憑性が無い。以前から伝えている通り書面でください。営業中の店内でそんな発言は止めて下さい。」と伝えましたが、またしても返事もなく,書面も届きませんでした。
その後、臨時総会の案内用紙を誰が私達に見せたのか等と犯人捜しをするような声が理事達から出ていると聞きましたので,誰が用紙を見せたか等、組合員に圧力を与えないよう民主的な組合をお願いする旨の書面をと理事達に送信しました。
32 平成28年9月13日,保健所による営業許可を受け、要望が多い弁当と総菜の販売を開始しました。農家婦人部の美味しい弁当にリピーターが増加しました。
33 平成28年9月14日の臨時総会が開催される当日の朝に出席する旨を再度被告にFAX送信しましたが,なぜか送信できませんでしたので,被告事務局に持参しました。「FAX送信出来ないが受信拒否しているのか」と聞くと,事務員は否定していました。店に戻ってFAXすると,送信可能になっていました。
当日の午後、主人は臨時総会に出席の為に会場に出向きました。受付事務員が慌てて理事達に知らせに走り、当時の森田理事長、有働副理事長(現:理事長)、鵜飼副理事長が慌てて出てきました。森田理事長は主人に対して「退会扱い」と言い,有働副理事長は「あなたは存在しない」と言って,3人の理事達に会場入り口で参加を拒否され、本件建物の今後の話合いに出席さえ出来ませんでした。
34 平成28年9月16日,当店の弁当は違法販売ではと保健所に通報がなされたようで,保健所職員が調査に来られましたが,結果は問題ないとの回答でした。
そして,とある女性が保健所に通報したとお聞きしましたが,当店に保健所の販売許可書がある事も確認せずに、誰が保健所に通報したのか疑問でなりません。
35 平成28年9月21日,ADRは決裂し終了しました。仲裁弁護士には努力して頂き感謝しております。
36 平成28年10月25日,組合員除名の法律内容と、当時当店に行なっていた違法行為を全ての組合員に回覧をするよう求める要望書を主人が被告に送信しましたが,回答もなく、組合への回覧もありませんでした。
37 平成28年10月26日,熊本県商工金融課及び熊本市商業金融課に対し,被告による商店街振興組合法律違反に対し是正を求める書面を主人が送付しました。
38 被告が数回にわたり支援物資の販売を行いましたが,いずれも当店は排除されていました。新聞記事においては,「健軍商店街で支援物資販売が行われ、最初2回の販売金は赤十字に寄付。その後の販売金は健軍商店街振興組合のイベントに使われる」と記載されていました。
この点,とある学校の避難場所において支援物資が被災者に配布されたところ,PTAの一人が「残った支援物資を販売してその金額をPTAの資金にしてはどうか」と発言しましたが,それを聞いたボランティア職員が「支援物資を販売して一部の組織の資金にすることはしてはいけません。寄付した人からすれば不本意です。」と回答し,その場の皆が改めて認識したというエピソードを聞きました。
災害の多い日本では保存できる物資は保存すべきで、まだ避難所で生活している人達に配布すべきだと思いました。被告による支援物資の販売を,熊本市のどの課が許可したのかも判然とせず、この疑問にマスコミが触れていない事も残念でした。
39 平成28年11月25日,被告がプレミアム商品券の販売を開始しましたが,当店でのプレミアム券使用は排除されました。このことにつき,お客様が納得いかず被告事務局に質問したところ,「理事達から産直は組合ではないと聞いてます。産直がプレミアム商品券を事務局に持参しても還元できない」との回答だったとのことでした。そのお客さんは,「健軍商店街でプレミアム商品券を使いたい店は少ない。産直で使えると思って沢山購入したのに。産直さんが無くなったらまた買いたいお店が健軍商店街から消える。理事達は消費者の事を考えていない」と憤慨されていました。
40 平成29年5月初めころ,前回の裁判において当時の裁判官から和解案が提示されました。私達は判決を希望しましたが、当時の裁判官と弁護士の努力を考え和解に応じる事を決めたその矢先、理事達は本件建物4階への階段につながる3階通路のドアに鍵をかけ,封鎖しました。
すぐ濱田弁護士に連絡し、当時の被告の弁護士に対して鍵を外すよう伝えてもらったところ、森田理事長が鍵を持ってきて鍵を開けました。私が「和解に応じると決めたばかりに、こんな酷い事を何故、誰の発案で?」と問うたところ,「先日の裁判で裁判官が許可した…」と森田理事長は小さな声で答えました。裁判官がそのような事を言うはずがないのは誰の目にも明らかですが,森田氏は理事長という責任ある立場で明らかにその場しのぎの虚偽の発言をしたのです。
当時は梅雨時で,3階通路のドアに鍵が掛けられると4階に上がれず、溜った雨水の汲み出しも出来ない状態になります。そうすると,本件建物に雨水が漏れ朽ちていってしまうことを理事達は承知しているはずですので,理事達は本件建物を朽ち果てさせようと故意に鍵を閉めたものと言うほかありません。
当時の釼羽前理事長が「弁護士が修理を壊すことを許可した」と発言したり,森田理事長の「鍵閉めを裁判官が許可した」という発言をしたり,責任ある立場にいるはずの者達の言動には驚きあきれ果てるばかりです。
41 平成29年6月,当店には総会の案内はなされませんでしたので,被告に対し再三に渡り案内するよう請求しましたが,無視されましたので,市の商業金融課対し2度も指導を求めたところ,総会の2日前にようやく届き,総会に出席しました。
総会では私達との裁判の話が無いまま1時間半程で解散となりましたが,組合員達が会場を出る瞬間に突然用紙が配布され始め、私達も手に取ったところ、その内容に驚きました。何と、当店名と主人の実名が見出しで、和解金を裁判官からの提示金額と伝えず「松永氏は高い金額を組合員に要求した。更に電気代も払っていない」等の事実無根の酷い内容が書かれていました。あまりに突然で一方的な書面の配付に,私達は反論の機会も与えられませんでした。
当店の電気代は、毎月、被告の事務員が検針していました。被告に対し電気代の請求書を求めても請求書の送付もありませんでしたし,裁判で係争中でしたので,裁判終了後に相殺ないしはまとめて支払うものと思っていましたが,こうした反論をする機会も与えられませんでしたので,何も知らない組合員が信じてしまい、当店への営業妨害に他なりません。
私はその酷い内容に気分が悪くなり,その場を離れました。主人はその場で最後まで読んで、釼羽前理事長と当時の被告弁護士が一緒に座っている所に行き「まだこんな酷い事をするんですね…」と言って会場を出たと聞きました。
こんな一方的で事実と異なる書面を組合員に配布したいがために,私達に総会の案内状を出さず出席させたくなかったのだろうと思います,
当時の裁判官の和解の勧めに応じた矢先に、理事達による鍵かけが行われ,総会での一方的な書面の配布がなされました。主人は判決にしなかった事を後悔し,陳述書を提出しました。「私は8人の理事達に突然呼び出された時からずっと我慢のしどおしだ。」こうしたその主人の想いは、これからも私の心にずっと残っていくだろうと思います。
42 平成29年6月、被告は立退料を支払い、私達は同年6月25日までに店舗を明け渡す事での和解案が出てきました。
主人は「退去は承知したが、遠くに行けず当店を頼りにしている被災者、特に一人暮らしのお年寄りの為に、スーパー・マルショクが再開する8月3日までのもう1か月だけは営業させて欲しい」と被告に頼みましたが、被告の理事達は困っているお客様の為のたった1か月のお願いにも関わらず、理事達は許可しませんでした。本来、商店街の理事達が被災者のお客様を想っているならば、当店に「被災者のためにもう少し店を続けて」と言うべきではないかと思いました。
被告は6月25日までの退去を主張していましたので,その理由を書面で提出するようにと当時の裁判官を通して求めても提出はせず,口頭で「早く出てもらわないと県の補助金が…」といった発言がありました。しかし,県に確認するとそうした発言はしていないとの回答でした。
結局、当時の裁判官の配慮により7月15日まで営業させるよう理事達を説得し,その旨の和解が成立しました。このようなご配慮をいただいた裁判官には感謝しております。
その後,笑い声や会話が飛び交う中、多くのお客様、生産者や業者の方々、従業員の方々と楽しく店を続けられた事に感謝して,丁寧に掃除をし、店内を撮影しました。地震の被害もほとんど感じられない位に綺麗な店内に、もっと続けられたと悲しく残念に思いました。
43 平成29年7月15日,「残念ながら廃業となりましたが、これ迄のご利用に感謝致します。ごきげんよう。産直オーナー」と主人が貼り紙をして,「地震後、不便な当店に関わらずご利用、応援頂き本当に感謝致します。又お会いできる事を楽しみにしています。産直店長」と私が貼り紙をして,商店街を後にしました。
しかし,平成29年7月31日、理事達との店舗の残置物の確認のために本件建物に行ったところ,ドアとシャッターの2か所に前記貼り紙を貼っていましたが、ドアの張り紙が無いことに気付きました。そして,何と私達の貼り紙の上に「立ち入り禁止。健軍商店街振興組合」の用紙が貼られていましたので、理事に張り紙の移動を求めた。和解後、誰の発案でまたこんな非道なことをしたのかと驚き悲しみました。
44 平成29年8月1日には,私達の貼り紙が剥がされていました。「産直さん何処に行ったの?」とお客さん達からの問い合わせが多かったのですが,その度に「ドアとシャッターに張り紙をしてます」と回答していましたが,この日の問合せにも同様に回答したところ,お客さんから「無いよ」と言われ、驚きました。
そこで,「お客様の為もう暫く貼って欲しい」と当時の森田理事長の店に再度貼り紙を持参しましたが,森田理事長の妹の従業員から「もうあなた達は商店街と関係なか、ビルから出たし張り紙はせんでよかでしょ。」と言われました。引き下がらずに「お客様の為もう暫くお願いします。」と頼んで貼り紙を渡し帰宅しましたが、お客様からはその後2度と貼られていなかったと聞き,大変悲しく思いました。
45 熊本地震直後からの被告の理事達からの数々のいじめともとれる言動は、長い間、組合員や外部に知らされず、理事達だけの判断で行われています。誰の発案で何故そのようなことをするのか明らかにして欲しいと書面での回答を求めても、訳のわからない事を口頭で伝えられるばかりでした。
そこで,主人が中小企業庁に相談したところ「除名扱いと言う言葉もない。管轄の県と市に伝えます。松永さんも商店街の理事達を指導するよう相談を。」との回答でした。
46 本件建物の一次調査の結果は一部損壊でしたが,理事達は組合員や外部に「半壊」と発表し続けていました。その後、理事達も熊本市も、疑惑のある市の商業金融課が行った二時調査をもとに大規模半壊と判定して、それを理由に理事達は私達に退去を求めてきました。
情報開示請求の結果、市の職員名と当時の営業店が黒塗りにされており,非常に疑わしい調査だと思います。
市が調査したとする平成28年7月2日(土)午後1時は、当店は終日営業しておりましたが,市の職員達が本件建物の唯一の入口であるドアから入ったのを当店の誰も見ていませんし,来ていませんでした。
補助金は国民の大事な税金です。市の回答に納得いかなければ、今後も解明する方法を色々な所に相談し、これからも情報開示の黒塗りをはじめ、色々な組織に解明を相談していくつもりです。
47 理事達からの退去通告後のある日、本件建物のただ一つの入り口から、男性2名が無言で入り更に店内奥に進もうとしていましたので,「どちら様ですか?」の問いかけたところ,「商工会です」と告げ,更に誰もいない暗い2階への階段を上がろうとしました。
私は慌てて上に誰も居ない事を伝えようと「上は誰も居ませんが…?」という私の発言が終わらないうちに、いつ入店したのか分かりませんが,釼羽前理事長が暗い2階の暗い踊り場からいきなり顔を出し、私に向かって「なんか文句あるとね?」と発言しました。
以前、主人に向かっていきなり「弁護士が許可した。修理箇所を壊せ」と凄い剣幕で言った釼羽前理事長の顔を思い出し,恐怖が蘇りました。商工会の人達も、釼羽前理事長のその言葉に躊躇し上がるのを一時止めました。
そして,釼羽前理事長はその商工会の二人に対し「こん人達(私達)には何も答えんでよかよ。」と発言し,商工会の2人も困惑した様子でした。
外部の人の前でこのような発言をする釼羽前理事長を,この立場にある人の発言なのかと恐怖するとともに虚しく感じました。このような地震後の被告の理事達の数々の言動に,健軍商店街が閑散としている原因が分かった様に感じました。
当時の被告の理事13名のうち12名の理事達の店は自社ビルであり,家賃は不要です。果たして家賃やアーケード代など諸々の経費を払い頑張る組合員の苦労を理解しているのでしょうか。もし理解していたら当店に対してこんな酷い事や「なんか文句あるとね?」「こん人達には何も答えんでよか」等の発言はできないと思います。地震後、行政や外部の人にも「あん人達に何も答えんでよか」と言ってるのだろうと行政や外部の人の言動に感じる事がありました。
健軍商店街の受注先の民間業者が、理事達の発言に合わせるのはまだ理解できますが、補助金(税金)の許可権限を持ち公平であるべき行政職員が、釼羽前理事長から私達に名前を言わず入店して良いと言われて従っていたのにも驚きました。
48 地震後のある日、釼羽前理事長を先頭に中央会の女性職員(退出時に中央会と回答していました。)、後ろに男性2名、更にその後ろに以前よりアーケード工事に関わる大阪の業者(全国の商店街のアーケードに関わっている3社のうちの1社と聞いた事があります)の部長の順で当店に入店されました。
釼羽前理事長達から守られる様に真ん中を歩く男性2名に対し「どちら様ですか?」と尋ねても身を縮めて答えず、2度の確認に躊躇しながらやっと小さな声で「県庁です」と回答されました。残念ですが公務員とは到底思えない言動を何度か見ています。
49 理事達に対しては、組合法を遵守し,民主的な運営をするよう強く望みます。また,組合法を守らずに一方的に私達を除名した事で、私達が、今尚、どれだけ心身共に病み苦しんでいるのかを認識してもらい、書面での謝罪も求めます。
50 平成30年1月、被告に対する提訴(本件訴訟)をした後、「あの人達(私達)はまだ裁判して、まだお金が欲しいの?」等の流言が流布されていると色々な方が教えてくれました。
理事達には、組合員やお客様に事実のみを話すこと、また私達が店をする際に営業妨害となることをしないよう望みます。
51 中小企業中に対し,「組合法は気まぐれですか?法律ですか?」と問い,別の行政に「三権分立とあるが一市民が相談できる行政はどこですか?」と問うた主人。今回の訴訟後、想像もしなかった行政への疑問や不信感が生まれました。そのもどかしさの中、主人は「自分の為ではない。これからの子ども達の為、行政や組織の不条理を淡々と問う。問うた事に行政や組織の言い訳だけが続くなら、その事実を公にする。後はそれぞれが考えればいい」と、心身ともに病みながら、不条理に淡々と向き合う主人の姿に涙が出ます。
52 地震直後からの理事達の言動に、私達は、今もなお心身共に病んでいる状態が続いています。心身うつ状態で食欲不振と睡眠不足が続き、特に主人は接客、仕入れ、ビルの修理、水の汲み出し等を続けながら体重を大きく減らし、診療内科で長い事カウンセリングを受け続けました。私は、4月26日に呼び出された8人の理事達の店に囲まれた毎日に苦痛を感じて睡眠不足が続き、診療内科の薬を服用し,後に発症した病気の後遺症にまだ悩まされています。
53 私達個人で解明する事に限界や虚しさを感じ現在に至りこれから先どこに問うたら納得いくのかと模索中です。私達は正直に冷静に裁判に臨んできました。今後、行政や組織に不条理にもその姿勢で臨みたいと思っています。
54 地震前、地震後、買い物に来て頂いた組合員の方々に今も感謝しています。訴訟相手は一部の理事達にしたかったですが、組合法に基づき、組合を相手にせざるを得なかった事を残念に思います。組合員の方々は,理事達から一方的な話を聞いていても、私達のことをきちんと理解して頂いていると感じる事もあり嬉しく思いました。同時に、家賃や多くの経費を払いながら頑張っている組合員のお店の発展を切に願っています。
以上