こちらのブログに訪問してくださりありがとうございます。

ただいま大腸がんになり、治療しなければ余命9か月と宣告された旦那みもおと頑張る闘病生活ブログになってます。
ぼちぼち更新できればと思っておりますのでよろしくお願いします。
 
なお、アクセス件数とか全く狙っていないし、身元割されないようでハッシュタグはつけません。
おばちゃんががんばってるなくらいに思っておつきあいいただけると幸いです。

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義兄夫婦の愚痴を書こうと思いつつなかなか書けず、マジヤバいと思ったエピソードを書いてないことに今更気が付きました。

ということで、義兄夫婦話はスタートします。


時期はコロナが発見される数年前、みもみも産まれる前です。
当時は義兄家族と同居している義母に月1会いに行ってました。

義兄夫婦宅へ車で向かう途中、姪ちゃんから電話が入り、電話に出ると
「今こっち(義兄宅)向かってますか?
お父さん(みもお兄)、入院しちゃっておばあちゃんと私を車に乗せて病院へ行ってほしいんですけど…。」
とのこと。

なので義母と姪ちゃんを連れて病院へ行ったのですが、義兄は集中治療室に入ってました。

なんでも義兄が平日に高熱を出し、仕事は家にある頓服を飲んで2日ほど働き、土曜やっている内科へ行ったらそのまま病院の集中治療室送りになったとのこと。

原因不明で、今で言うコロナ初期のような状態です。

集中治療室での面会は3人しか入れないとのことで、義兄嫁と私は待合室に残り、義母、みもお、姪ちゃんの3人が集中治療室へ。

待合室で待っていたら義兄嫁が
「危篤なんです…。ガーン
と…。

突然のことで言葉も出なかったことを覚えてます。

ちなみに義兄は峠を越え、病気を完治し、現役復帰して今も働いてます。

集中治療室での面会も終わり、姪ちゃん
「お友達と遊ぶ約束してるからバスで駅に行くね!」
と去っていき
(お父さん危篤なのに?ぉぃぉぃ…。)

義兄嫁は義母を我が家の車に送りについて来たのかと思いきや
「(病院にいても)何もすることないから私も乗せて帰って。」
と…。

まあ義兄嫁の話はみもおや義母から聞いてはいたけど、人から聞くのってどうしても尾ひれ付きやすいから話半分に聞いていたのですが、聞こえよく言って「天然」悪く言って…神経疑うレベル。

以前みもおや義母から聞いた義兄嫁の話は長くなるのでまた次の機会に。

 

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気持ちのはけ口にこのブログを更新したいけど、身元割れというか。
みもおや親族にこのブログを見られるのが避けたいので様子見て更新していくと思います。

ご縁がありましたら、愚痴を読みにきてくださいね。