こちらのブログに訪問してくださりありがとうございます。
ただいま大腸がんになり、治療しなければ余命9か月と宣告された旦那みもおと頑張る闘病生活ブログになってます。
ぼちぼち更新できればと思っておりますのでよろしくお願いします。
なお、アクセス件数とか全く狙っていないし、身元割されないようでハッシュタグはつけません。
おばちゃんががんばってるなくらいに思っておつきあいいただけると幸いです。
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時系列が異なりますがブログアップしていきます。
みもおですがGW明けに抗がん剤治療が終了となり、当時の主治医に
「先生のご経験上で余命はあとどれくらいと思われますが?」
と、みもおが訪ねて
「テレビのドラマなどでよく『余命何ヶ月とよく言いますけど、実際は人により異なるので正直難しい。この状況で1か月の方もいらっしゃるし、2~3か月の方もいらっしゃると思いますが4か月は厳しいと思います。」
と言われました。
実際、この日から37日目に永眠いたしました。
前半はなんだかんだご飯食べれたんですねどね
足のむくみがひどくて、足のむくみで足が動かなくなり
「もうダメなのか…。ここまでなのか…。」
と涙ぐみ…。
でも訪問看護師さんに足をマッサージしていただいて、歩けるようになり一安心。
を1週間に一度繰り返しておりました。
食事もね12日前にはうなぎ食べてたんですよ。
鰻屋さんの鰻買ってきて。
もともと食事の量に波があったのですが、先週くらいから食べる量が減り始め、でも朝は食べれて昼夜が食べれずみたいな感じで、亡くなる6日前の朝は食欲ないけどフルーツ味の6Pチーズを食べて、10時過ぎにリハさんが来るはずで、朝リハさんからの訪問確認の電話も普通に受けてたのですが、30分後くらいに
「ひだりあしがいだいぃ~」と言いだし
「先生呼ぶ?」と聞いたら呼ぶといい
リハビリキャンセルして先生呼んで…。
それから薬を口から飲めなくなりました。
痛み止めが飲めなくなったので点滴を始めたのですが、痛み止めの効果が身体から抜けてしまったので痛み止めが効くまで時間もかかり、点滴も気泡を感知してアラーム鳴って、夜中に3回も訪問看護師さんを呼び、熱も出て医師に電話して無理やり抗生剤を飲ませ、座薬入れて…。
翌朝来た訪問看護師さんは「もう家から出すのは無理な状態で家で看取るしかない。」と感じたそうです。
施設への入所は当時満室だったため、早くて二日後と言われたのですがたまたまキャンセルが出たため点滴始めた翌日(訪問看護師さんが「家から出すのは無理な状態」と感じた日)の午後には入所でき、施設生活が始まりました。
キャンセルは病院に入院中のかたが容体がよくなり退院して施設へ移動予定でしたが、容体が悪化し退院できなくなったとのこと。
申し訳ないのですが、我が家にはラッキーでした。
すべてケアマネさんのおかげで介護タクシーの手配もしていただき何から何まで本当にお世話になりました。
ちなみに介護タクシーだとストレチャーも使って患者を搬送してくれます。
本当に介護って知らなことが多いですね。
入所したみもおは子供のようで不安になると「まま~、まま~」と言ってばかりでした。
ある夜中は廊下に聞こえるような声で「まま~、まま~」を声を振り絞り、夜勤の看護師さんが飛んできてくれたくらい。
(その日からみもみと一緒に病室にお泊りしておりました。)
亡くなるときも一瞬私が手を離したときに「(みもおの)手がみもこを探している。」とみもこ姉に言われ、手を握ってみもおの様子を見ていたら息をしなくなってました。
頑なにギリギリまで家にいることを望み、容体によっては他の施設に入ることより入所希望した施設に空きが出るまで我慢し、望む形で旅立てて幸せもんだよね。
断捨離してくれてないけど(笑)
ぼちぼちやってきます。
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気持ちのはけ口にこのブログを更新したいけど、身元割れというか。
みもおや親族にこのブログを見られるのが避けたいので様子見て更新していくと思います。
ご縁がありましたら、愚痴を読みにきてくださいね。