こんにちは!

東京は雨です(^O^)

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同居人アスペにお手軽書きました、私です。


やはりなんのリアクションもありません。


アスペルガーについて不思議・不快に思うのはこちら側だけで

向こうは何も気にしていないんでしょうね。

だって、困ってないんですもんね。


私は生まれつき、足の指が左右に5本づつついてるんですけど
なんかたまに歩きづらかったり魚の目出来るけど、でもその程度で

でこの年になって、あなたそれおかしいよ!
指5本ついてるせいだよ!
現に魚の目なってるじゃん!
魚の目見るの不快不快不快!!!!!


……みたいなレベルなんでしょうか…?



変な喩えで紛らわす、雨の東京日曜日でした。
こんにちは(^O^)

羽毛布団をようやく引っ張り出した私です。

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今日はリアルタイム記事です。

昨夜、同居人に宛てた手紙を書きました。
今朝読めるようにテーブルにそっと置いておきました。

朝、起床した同居人。

私は寝たふり、でも耳ダンボ。


私からの手紙をテーブルの上に見つけるなり

シューーーーーーッッ!!!!!

と爆音のため息。笑

えーーーー!!そんなため息でる??肺活量!!!笑

コジコジを思い出し思わず吹き出しそうになる私。


多分これも反射だよね。
いつもの言い返しみたいな感じ。

久々の“悪魔の”手紙が起きたばかりのぼやっとした視界に突然入り、思わず反応が莫大になったと思われる…。

で、すぐさま読んでる…
そーっと何度も読んでる…

で、ちゃんと鞄に入れて持って行ってくれた。
お手紙ボックス(いつかの結婚式招待状のブログを御参照下さい。)には放り込まない。


ふぅ~…ありがとう!!!
良かった良かった、とりあえず読んでくれてありがとう!


返事が返ってくるかは知らない。
でも読まれたことで私は満足感を得た。


気になる内容は、同居人が最も苦手とする内容だと思う。

分からない事書いてごめんね、とも思ってしまう私は天使。

と励ましつつ。


伝わるかな~
伝わると良いな~~

無理かな~~


もう手紙だって何度も何度も書いてる。

こないだは最終的に手紙の内容が理解出来なかった事を 私から責められたら同居人は
私に対して

『あんな手紙、何度も書いてきて正直重い。
意味も全然分からなかったよ。』

と反射済。


言ったことはもう忘れているだろうが、このような一言がいちいち私をえぐるのだ。


起きてる方、いるかな?

NHK バリバラで 発達障害特集の再放送やってます!


『どうして出来ないの?』

じゃなくて

『どうやったら出来るのか』

を一緒に考えて欲しいそうです。


いやいや…自分で考えてくれよ……と思うけど、

それがまず難しいのか……


放送観てフラットな気持ちで真摯に勉強してみます。

こんばんは!

雨のおかげで夜の予定がなくなった私です(^O^)

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今日は時間があるからブログもう一本!


発達障害と特別扱いについてです。

お子様の発達障害への偏見の話も出てきますのでご注意ください。


私が小学生の時に3ヵ月に一度くらい学校中の硝子を割って回る男子同級生がいた。

で、その子は更に2ヶ月に一度位はキレまくって教室中の机をなぎ倒し暴れ、女子はみんな怖くて泣いた。

それでもその子と私は、中学卒業まで同級生だった。

そしてその子は、凄く偏差値の高い高校へ行き、今は教諭の職に就いている。

今なら判るが、彼は多分発達障害だったと思う。

だけど、私たちの時代はまだそう言う概念が無くて

“クラスに1人はいる、キレると何するか判らない子”

のうちの1人、と言う認識だけだった。

(ちなみにその男の子は、中学時代に私の友達で、親が離婚済の長女の女の子と付き合っていた(^_^;))


私がとっくに学生を終えた頃から特別支援学級と言う単語を聞き始めた。

いつから出来たのだろうか?

私はそれを聞いて、完全に学校生活に支障があるような障害を持っているが、なんとか歩いたり喋れたりするから皆と同じ校舎には行く、みたいな意味だと思っていた。


でも違う。今ならどういったものか知っています。

では、何故大人は分けないのか。

それは私達世代の、ちゃんと診断や指導をされなかった“疑い”のみの子供たちがちょうど大人になっていて
今更分けるのには制度や労力の様々な問題があるから?

じゃあ今、発達障害と診断済の児童は大人になったら健常者と区別されて働くの?

度合いによるの?

それとも、社会生活において支障がないから今と同じ感じ?

診断ありき?



私は何だか、障害と名称を付けた以上、責任はあるよね、なんて思ってしまう。


障害者、だから
弱い立ち場、だから
こちらが寄せてあげましょう!

そして障害者だけど差別区別されず少しでも健常者と同じレベルの生活が送れるように健常者の私達が努力しましょう。

だって出来ないものは出来ないんだから。

だから健常者が気を利かせてこちらに寄せてね!



……発達障害と言う概念や名称を知らない頃の方がどんなに幸せだったかと息苦しくなる事が多いここ数ヶ月である。





こんにちは!

さっき大好きなおばあちゃんと電話して元気もらった私です(^O^)

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今日はカサンドラと理解力の話。

同居人がアスペルガーじゃないかと思った時に、山ほど関連する本を読んだ。

このブログをお読み下さってる方もきっと読んであるだろう一冊の一部分がとても心に刺さった。

“カサンドラになりやすい人”の特徴についてである。

(言っておきながら手元に本が無いので詳細は割愛させて頂くのだが、笑)

・長女で、未成年のうちから自分で責任を持ち物事を進めなければならない状況にあった。両親が離婚している場合も多い。

…みたいな内容。(全然違ったらすみませんm(_ _)m)


私はそっくりそのまま当てはまるから初めて読んだときひっくり返って笑った記憶がある。
あぁ…逃れられない経験だったのかしら…と。


あと、これは主観でもう一つ。

私がカサンドラだと思い込み、これまた今度はブログを山ほど読みあさった。

そこで思った…

引き込ませる文章の多いこと!!!

皆さん、文章が超上手なのだ。

そうか…
多分、これは多分だが、カサンドラになっている方々は
他人の気持ちを理解する幅が物凄く広いんじゃないか?

理不尽な事や不思議な事でも、持ち前の広く豊かな心で、自分の中で腑に落とすのが巧いんじゃないか…?

だからアスペの滅茶苦茶な言動も初期の頃は面白いな~…個性的だな~…と受け入れてしまったのか?(私の場合です。)


こないだ、ある友達に初めてアスペ同居人の事を話した。

そしたら

「○○ちゃん、よくそこまで我慢したね。
私ならそれ(ごく初期に私とアスペの間に起きた出来事)の時点で、あっはいもう無理~ってなるね。」

と言われた。
ガーーンだった…。

はっきり言ってくれる友達がたくさんいて感謝感謝である。

そうか、選択したのは自分だったのね…と改めて感じた。

私が選んだのね。

許容したのも私。


しかしいつか限界は来るものである。




まあ今日はこんな感じで(^O^)




…続き。

私が感じていた事が
違う意味を為して現実感を帯びてきた。

ざっくり言うと明るくて日の当たるような事柄を好んで選んでいた自分が
知らず知らずのうちに真逆を選択し始めていた。


そしてそれによって外見までもが変わって来ていたのだ。


しかしその時の私はそれをさほど気にしていなかった。


年齢や生活の仕方が変わって“落ち着いた”のだと思っていた。


同居人アスペはいつも色違いで同じスタイルの格好をしていた。
シャツを前全部閉めて着る+チノパン。
いっつもそれ。


遊びも友達も全く派手じゃない。

人生で唯一一度茶髪にしたことがある話を恥ずかしそうな顔で話してくれた。

いつもどこで遊んでるの?と聞くと中高生みたいな答えだった。


私の仕事は専門職で世間からみると派手な仕事。
でも決して珍しい仕事ではない。

初めて私の仕事について彼に話した時も『そんな仕事実在するの?!そんな人に人生で会ったことない』と驚き信じられない様子だった。



そんなこんなで、同居人に合わせてシンプルなカラーの洋服を着たり、夜遅くまで遊ぶ回数が減ったり。

あと顕著だったのが、私は自営業で仕事が選べるのだが
明らかに表側に立つ仕事を選ばなくなっていた。


前までは当時付き合っていた派手な彼氏や友人達に負けまい!自慢してやる!
と、張り合いたいが為に進んで分かり易く派手な仕事ばかり選んでいたのだが
同棲し始めてから裏方の仕事ばかり選択するようになっていた。
なんだかそう言う気分だったのだ。


だから自分の変化にはいち早く気付いていたが、自然な変化だと思っていた。

しかし…

今考えれば、それがスタートラインだったような気がする。

気がするだけなので断言は出来ない。

でも、私が彼に対して違和感を持ち始めた時期とぴったりかぶってくるのだ……。



……ホラーより怖い?
カサンドラと性格の変化…?!でした。




…続き。

“のび太”って言うイメージがしっくりきた出会った当初の同居人。


で、時は過ぎ同居して一年位経ったある日。

なにか違和感を感じ、ふと自分の顔をまじまじと見る…

(ふ、老けてる…??
と言うか、なんだこの顔…??)


同居をしてから何故かあまり鏡を見なくなっていた私。

久々に日のあたる場所で真正面からまじまじと見た自分の顔の余りの変わりように衝撃を受けた。

なんというか…老けてる?疲れてる?いや、諦めてる…?

そう、人間が何かを諦めた瞬間のような表情がまるで染み着いた顔をしていたのだ。
生活感というか…哀愁と言うか…

まあ誰かと暮らせば顔も変わるか…と言うか普通に年齢も年齢だし…と思い、その瞬間は顔のマッサージを慌ててした位で終わらせた。

しかしその直後から会う人会う人に「急に老けたね(@_@)」とか「急に痩せたね」とか言われ始める。

余りに言われるもんだから、やっぱりそうか~…なんてちょっと凹んでいた。

そんなある日。

私に“同居人と付き合うの反対!”と言った友人と久しぶりに会えることになった。

で、待ち合わせ場所へ。
友人発見。
いつも通り足から頭まで私をスキャン。(彼女は洋服のデザイナーなので職業病。)

すると彼女が開口一番に
「○○ちゃん、おかしい!そんな地味な服、絶対に着なかったじゃん!なんか疲れきった主婦みたい!メイクも全然してないしどうしたの??」
と伝えてきた。

前回も言ったが、彼女は正直である。
私はまたもやハッとした。

最近の私の心の底をまたもや見透かされた。

実はその頃の私は、なんだか今まで気に入って着ていた柄物やカラフルな服を「なんだか似合わなくなってきたし恥ずかしいな…」と思いまさに処分した矢先であった。


そして彼女と会った帰り際に、またも涙目の彼女が伝えてきた。

「今日○○ちゃんと久しぶりに話してたけど、前みたいなギャグや面白いことも全然言わないし、会話もネガティブで生活感たっぷり!
いつも色々教えてもらったり励まして貰ってたのに今日はずっと逆の立場!
本当にどうしちゃったの??」

と聞いてきたのだ。

あぁ…私どうしたのだろう。


確かに外見が地味になり前のように活動的じゃないのは自覚していた。

同棲を始めて精神的に落ち着いたのだと思ってた、

でも…なにか変…?

続く…

こんばんは!

今日の東京は珍しく霧がでていましたくもり

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今日はカサンドラと性格の変化についてです。


今の同居人と付き合い始めてすぐの頃。

仲の良い友達とご飯に行った。
その友達は感じたことをズバズバと言ってくれる貴重な友達でいつも会うのが楽しみであった。


その友達が、私が同居人アスペと付き合い始めたと言うと

「偵察じゃ偵察じゃーー!!!」

と言いだしたので同居人を引っ張り出して3人でご飯に行ったことがあった。


その帰り道。
私と彼女2人になったタイミングで

「○○(私)ちゃん、あなたが彼のこと好きなら金輪際言わないことにするから今日だけ言わせて欲しい。
私はあの彼と付き合うの大反対!全然似合ってないよ!私の大好きな○○ちゃんを楽しませてくれるのかな?
このまま付き合うと暗くて地味な○○ちゃんになるのが目に浮かんだ(T_T)」

と涙目で言ってきた。
私はちょっとびっくりした。

が、同時に心の底を読まれたな、とも思った。


実は同居人は、私が今まで全く関わったことのないタイプ。

いつも表舞台にいるような派手男がタイプだった私だが、同居人は真逆。


でもまあ真面目そうだしちゃんと働いてるし優しいし良いかな~…なんて考えていた。


しかし!しかしだ…


なんとその日を境に、私とその友人間で同居人に対して有るあだ名を付ける事になる。

それは…

【のび太】

である。

実はこれ、私が同居人と付き合う前の段階の時に友人達との会話内で

「イイ感じの人ってどんな感じなの~?誰に似てるの~?」

と言う女子あるあるな会話が頻繁にあり
そこで、私が同居人に対してパッと思い浮かんだイメージと同じもの。

のび太。

優しくてママが大好きで、ドラえもんにいつも頼らないと何も出来なくて、気が弱いんだけどいざと言うときは正義のために勇気を出す。

騙されやすそうで、ふにゃふにゃしてて頼りがいなくて、でも一つを貫く事が出来る。


これが私が同居人に対して抱いた第一印象でもあったのだった。。


続く…。


おはようございます(^O^)

今日は東京に夏が戻ってきたハート
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この間の記事の続きはまた追って書きます。

夜中に感情に任せて書くと恥ずかしい箇所が沢山ありますね…。反省。


今日は何故私は同居人に対して落胆し続けるのか、と言う自己分析。


同居人が『また私が嫌がる事』をした。

この嫌がることって言うのは私の主観。

私の中にある私の価値観が物差しとなっている。


世の中には色んな物差しがある。

個々人に備わるパーソナルな物差し。

自分を取り囲むコミュニティー毎の物差し。

心有る人間としての物差し。

対人用物差しは社会で大人数が幸せで円滑に暮らせるようにあると思っている。

この物差しは『ルール』とも言い換えられます。


例えば私は東京に住んでいて毎日人でごった返す場所を行ったり来たりする。

1日の中でイラッと来ることは何度もある。
駅の矢印付の階段を無理やり逆走してくる人とか、電車のドア付近で岩みたいに立ちはだかる人とか。


こんなに大人数が住む街なんだから一人一人が意識して物差しを伸縮させないと気持ち良くは暮らせないよね。

だからもし階段を逆走してくる人がいたとしても
岩みたいに動かなくっても
「よっぽど急いでたのかな」とか「初めて東京に来たから知らなかったのかな」とか
自分の物差しを相手の物差しに合わせてゴムみたいに伸縮させる事にしている。

そうすると“緊急事態”だったならこっちも理解しないとな、と自分を納得させることが出来る。
( まあほとんど無理やりな事もある。笑)


しかしです。

同居人アスペの場合は社会的な物差し、持っているのかな。


アスペルガー独自の固~い固~い物差しをたった一本持っているだけのような気がしてしまう。
それはテコでも動かないし柔軟性や伸縮性に乏しい。

物差しの幅が違う時に無理やり合わせようとすると人間同士は軋轢を生んだり
無理やり幅を変えさせられる事で抑えつけられネガティブな感情が生まれることを知らない。

それが故意や緊急事態ならばまだ納得がいく。

しかし、アスペルガーの場合そこに理由がないのだ。

自分の物差しを駆使して普通に暮らしているだけなのだ。

だから私は落胆し続ける。

理由がないなら反省もなし。
自分らしく生きているだけ。

物差しに沿ってるだけだから自覚もなし。

…。