こうなってから夫婦で始めた、御朱印巡り。
これが思いの外良く、心が救われる感じがしています。
神社、お寺、どちらにも行ってみたけど、
今の私には、お寺の方がしっくりきました。
神社(神道)とお寺(仏教)の違いは、
「死」の捉え方。
神社(神道)は「死」を忌み嫌い、穢れとする。
(穢れとは、死、血、病気など指す)
一方、
お寺(仏教)は「死」を輪廻転生、成仏の入り口であり、極楽浄土への旅立ちを意味する。
去年は、○にたいとか頻繁に思っていた私です。
もう、人間辞めたいとか、
次に生まれ変わるなら、犬がいいとか。
(↑ご主人様に可愛がってもらえる犬)
そんなことばかり考えていたので、
お寺の方がしっくりくるのかもしれません。
初詣は、不動明王を本尊とするお寺へ行ってきました。
邪念だらけの私と罪深い(?)夫には、
まさにぴったりな場所で、
不動明王の怒ったお顔は、
夫を叱ってくれているように見えました。
それから、お護摩焚きが良かったです。
心がふっと軽くなった気がして、
とても、清い気持ちになったのですが……
チラッと夫を見たら、なんと、
寝ていました…。
なんで、ここで寝れるのか
本当に信じられない。
お護摩焚きの間、お坊さんの真言と太鼓が
大きな音で鳴り響いているわけですよ。
皆んな、炎を一点に見つめ、真言と太鼓に耳をすませ、
その厳かな儀式を神妙な面持ちで見守っているのに、
寝るだと
結局ですね、共感力ゼロってそういうことなんですね。
感受性が乏しいのか、受け取り部分に問題があるのか、
感じることができないんです。多分。
色々なことから、日々何かしら感じ取ることで、
そこに気付きがあり、成長がある。
そこの差ですよね。
人生深くなっていく人と、ならない人。
夫は、心が動かない。
まぁ、だからウソつきなんだろうし、
相手の優しさを踏み躙るようなことが平気でできるんだろうな…。