今回は、わたしの母の事を書こうと思います。


小さい頃から、わたしにはひとつ上のお兄ちゃんがいて、赤ちゃんの時にお空に行ってしまったことを聞いていました。


わたしは子どもだったので、何も考えもせず、「おにーちゃんに会ってみたい!」とか、「おにーちゃんがほしい!」とかよく言っていました。


お盆やお彼岸にはお兄ちゃんが入っているお墓の前で手を合わせ、心の中で近況報告をしてました。


わたしが大人になってから、母はお兄ちゃんの事を少しずつ教えてくれました。


病名は付かなかったこと

毎日お兄ちゃんをおんぶして、姉を自転車の前に乗せて病院へ通ったこと

入院した当時の子ども病院ではの面会は両親のみで、午前中2時間。保育園にお姉ちゃんを迎えに行って午後に2時間しか会えなかったこと。

面会中は、当時3歳だった姉を売店のそばのベンチに座らせ2時間待たせていたこと。

毎日毎日弱っていく息子を看病し、
家に帰って不安で不安で泣いたこと

最後は多臓器不全で亡くなり、小さな小さな棺を抱いて泣いたこと

お医者さんは、遺伝する病気じゃないと言ったこと


毎年、命日が近づくと泣いています

今でも決して忘れることはありません


たまに、「男の子のお母さんになってみたかった」と言うことがありました。




そして、わたしの妊娠が発覚。


待望の男の子。


母はとても喜んでいました。


しかし、同時に不安も抱えていました。


『 うちの家系は男の子が弱いのかもしれない』と


ずっと後に知ることになるのですが、母の弟も1歳になる前に亡くなったそうです。


自分の弟と息子、二人を亡くしている母は、ずっと不安だったことでしょう。


でも、口に出せなかったそうです。
口に出したら本当にそうなってしまうのではないかと、怖かったそうです。


そして、元気に生まれてきてくれたてっちゃん。

一ヶ月検診も順調のお墨付きをもらって、母も一安心したようでした。


そのわずか半月後に入院。


受診した総合病院には母も付き添ってくれたのですが、その病院から国立の子ども病院へ救急搬送される間、母はてっちゃんを抱いて離しませんでした。



そして、病名が分かり、同時に遺伝性の病気だということも分かりました。

亡くなったお兄ちゃんは、高い確率でてっちゃんと同じ病気だったこと。


それを伝えた時の母の思いは計り知れません。


亡くなった息子の病名が30年越しに判明した想い

自分の遺伝子が娘に受け継がれ、病気の子を産ませてしまったという自責の念
(いくら誰も悪くないんだと言っても、どこかで自分を責めてしまうようです。わたしも夜自分を責めて眠れないことがあります。)

そして、医学の進歩は目覚ましいものがあるから、絶対に大丈夫!と毎日言っていました。


母は、落ち込んだ姿を見せないように振る舞い、誰もいないところで泣いていました。

そして落ち込み、食事もあまりとれなくなったわたしをいつも側で励ましてくれてました。


当時の自分と重なるところがあったのかもしれません。


母はてっちゃんを撫でながら、お兄ちゃんの名前を口にした事もありました。


母はわたしの想いを1番分かっててくれて、わたしが1人にならないように計らってくれてました。

母の前ではわたしは素直に自分の気持ちを吐露し、泣きじゃくりました。

わたしの母親としての辛さを1番分かって支えてくれました。


そして、移植がうまくいって退院。


母は、実家にてっちゃんを連れていく度に庭先に出て、さりげなくてっちゃんをご近所さんに見せて孫自慢をしていました。

ずっとしたかったのだと思います。

母は幸せそうでした。


そして、2度目の入院。

前回とは比べ物にならないほど辛い闘病生活。

今回も側でずっと支えてくれました。

そしてICUに行った時、医師からの説明にわたしは放心状態になり、30分ほど床から目線を上げられませんでした。

その時、母が、「わたしのせい。ごめんね。こんなに辛い想いさせて、本当にごめんね。」
とわたしに謝ってきました。

咄嗟に顔をあげて、「ちがう!ちがうよ。誰も悪くなんてないんだよ!自分のせいになんてしないで!」と言いましたが、母は涙目のまま力なく「うん」と言ってました。


わたしと同様、母もとても辛かった。


てっちゃんが病気を克服することが、母の自責の念を払拭できる方法なのかもしれない。


いくら誰も悪くないんだと言って、頭で分かっていても、辛い思いをしている孫と娘を目の前にしていたたまれなかったのかもしれません。




今は体調も上向きになってきたてっちゃん。

てっちゃんの動作、笑顔、すべてが母の活力になるそうです。

母の来ない日は、その日1番よく撮れた写真をラインで送ります。

母は、うちの一族で病気を克服できた第1号になろうね!とてっちゃんに言っています。


病気を克服できた時、やっと母の心は自分を責めることをやめられるのかな。

分からないけど、そうであってほしいです。


だから母には、これからもずっとてっちゃんの笑顔を側で見続けてもらいたいです。