NHKの朝ドラは、女性初の弁護士、裁判官になった三淵嘉子をモデルにしています。彼女は東京家庭裁判所では、5000人以上の少年少女の審判を担当したと言われています。ドラマでは戦後たくさんの孤児がいたことが伝わってきます。

友人の薦めで、1人になってから何か仕事をと家庭裁判所の調停員に応募しました。何度目かに面接までこぎつけたのですが、予算の関係か定員の募集がなかったのか不採用になりました。

  このことで家庭裁判所に通いましたが、その時になにか不思議な親しみを感じたのです。どうしてなのかを思い巡らしてみました。

私は水野家に生後すぐに養子になりました。両親は正式な養子になるための手続きのため金沢家庭裁判所に通いました。そして、昭和31年4月に審判がおりて正式に水野夫妻の養子となりました。母はこの家庭裁判所の書類(申立書と審判)を最後まで大切に保管していました。

家庭裁判所に通った時の父と母の気持ちはどんなものだったろうか。養子に出す実父の思いはどうだったのだろうか。裁判所に行くとそのことに思いがいきました。

  調停員は70歳までしか奉職できません。残念なことにその任務にはつくことができませんでしたが、もし、ついていたとしたらもう定年です。三淵嘉子は69歳でなくなっています、同じ年齢です。自分の与えられた奉仕のために少しでも神と人のために役に立てたらと思います。