(白山山頂の夕日)

◯◯◯  敬虔日/反省会雑誌より ◯◯◯

「敬虔」という言葉は、英語のpietyの訳で明治にプロテスタントの影響からできた言葉です。

司馬遼太郎は「明治という国家」で説明しています。

「『自助論』『敬虔』という言葉は、神という絶対者に自己のすべてをささげようとする姿勢を現す言葉。明治に入りプロテスタントの宣教師達が日本に来る、彼らは第一級の伝道者達で、大変まじめだったので、クリスチャンと言えればまじめな人をさした。それにひきかえ、本願寺僧侶はまっさきに反省する。我々は酒を飲んだりしてじつにふまじめじゃあないか、せめてプロテスタント牧師のように禁酒しようじゃないかということで、明治20年8月に京都西本願寺から『反省会雑誌』が生まれ、それが本社を東京に移し、いまの『中央公論』になった。

 

この雑誌は仏教僧侶も神なきプロテスタンティズムにあこがれたことのしるしだ。」

 その反省会雑誌が手元にあります。明治36年7月のコラムがおもしろいのです。

  『敬虔日』

「敬虔日は礼拝の日なり、懺悔の日なり、黙想の日なり、訓誡の日なり、しばらく浮き世の塵念(じんねん)を離れて霊界の修養につとめる日なり、しかして現在の我国民にまったくこの日をかく。

 日曜日は、基督教国民の敬虔日なり。彼らに形式と言うなかれ、虚偽としりぞけることを止めよ。基督教国民がこの日をあるがほめ、その家庭の平和を保ち、その肉欲の逸脱を刺し、その向上の精神を養い得ることは否むことはない大事実なり。

 我国の日曜はお祭りまたは記念日と共に、娯楽の日なり、罪悪の日なり、紳士が家庭を打ち壊す日なり、妻がケンカを売買する日なり、男女の密会の日なり、遊郭に入る日なり、借金日なり、賭博の日なり、警察事故の最も多い日なり。

 日曜日の午前をもって我が国民全般の敬虔日とせよ。宗教を信じる者はもちろん、宗教無き者もこの日をもって教訓の日となし、修養の日となし、反省の日となし、もって清き半日を送れ。宗教家は、仏教も神道もなくその日をもって説教礼拝の日とせよ。敬虔日の制定、世の心ある政治家、教育家、宗教家にこう。」

文語訳聖書で訳された「敬虔」が、口語訳、新共同訳では、「信心」と訳されています。新改訳ではそのまま「敬虔」に、聖書協会協会訳では「敬虔」を復活させています。はたして、私たちのうちにはこの敬虔な生活があるでしょうか。